こんにちは!
中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラー
中辻はるかです!

本日はオンラインカウンセリング「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談への回答になります。
ココロノマルシェとは…
根本裕幸カウンセラー/ココロノオフィス主催のカウンセラー養成講座「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラー達が、みなさんから寄せられたご相談を受け付けているオンラインの無料掲示板です。
たくさんのカウンセラーから回答がいただけますので、よかったらご利用くださいね^^
◾️ご相談内容
ご相談内容はこちらです。
『YouTubeコメント、配慮ってどこまですべき?』
アラサー独身女性です。先日、とある婚活系のYouTube動画にコメントしたらお叱りのコメントが複数ありました。
私が書いたコメントは
「久しぶりに高校の同級生に会ったら、あっさり教員を辞めて専業主婦になっていてびっくりした。性格的に根性があるタイプだと思っていたので(家庭に入ったのは)意外だった」
というような内容です。
(もちろん友人にその場で驚きを伝えたわけではなく、私が心の中で思ったことです。)
これに対し
・辞めたのは事情があるかもしれないので、仕事を辞めただけで根性無いと思われたら悲しい
・あっさり辞めたかどうかは分からない。働きたくても働けない人もいる。自分もそうなのでグサッときた。
というようなコメントを頂きました。
このコメント受けた私は正直、そこまで配慮しなきゃダメ?と思ってしまいました。
(特にそのyoutubeチャンネルは共働きを強く推進しているので、働けない主婦の方からそういうコメントが来るのはちょっと予想外でした。)
事情があるかもしれないのは確かに念頭に置いた方がいいなと反省しましたが、本人に伝えないなら、このあたりの感想は自由だと思うんです。
ネガティブな印象持たないでね!みたいな圧にどうも納得が行きません。
きっと友人は友人で私に対していろいろと感想を抱いていると思います。
この子30過ぎてまだ独身なんだな~とか(笑) でもそう思うのも友人の自由だと思います。
ちなみにその友人とバッタリ会った際
「私はいつでも暇だからまたご飯行こうよ」と言ったら、友人は「え?暇ってどういう意味?」と怪訝そうな顔をしました。
「ああ、平日は働いてるけどね」と補足すると、「よかった~ニートかと思ったよ」と言われました。友人も働いていない人のことを”ニート”と表現しているあたり、正直そこまで考えてなさそうです。
「配慮」ってどこまでするべきでしょうか?
正直、独身の私はそこまで配慮をされたことがないので、求められるばかりだなあと感じており、今回のコメントに納得いかない理由の一つであることも自覚しています。
普段の私はむしろ、相手に遠慮して言葉にするのをはばかる場面も多いので、これ以上まだ配慮配慮か・・・と思うとちょっと気が重いです。
批判コメントしてきた人たちも含め、あの人は言いたいこと言ってるのにな~とかどうもモヤモヤします。
皆様のご意見が聞きたいです。よろしくお願いします。
(ご相談者様:おかぴさん)

おかぴさん、こんにちは!
はるかが回答させていただきますね!
*回答
相手が見えない状況での配慮、不特定多数が目にする場所での配慮、難しい課題ですよねぇ。
SNS上でのコメントや配信内容への配慮について、おそらくコロナ禍をきっかけに加熱したのではないかとナカツジは思っているのですがいかがでしょうか。
前はそこまで言われていなかったような・・・?
それこそYouTube初めSNSなんてのは不特定多数が相手になるの世界じゃないですか。
その世界に向けて何かしら自分が発言をするということは、特定の相手に投げかけた言葉や発信だったとしても見えない相手に届く可能性があるということ。
それだけ影響力を最も簡単に起こせるツールなんですよね。
この辺りはネット社会が普通になりすぎて忘れがちですけれど。
そうなってくると世界人口分の基準に対する「配慮」が存在するわけです。
今の世界人口って80億人くらいでしょうか?
日本人だけでも1億人ちょっとですかね?
歴史だって文化だって言葉だって育った環境も全部違う、その世界人口分の配慮に対しておかぴさんは対応する気なのでしょうか?!笑
すごいやる気!!?それくらいアグレッシブな方なんでしょうね^^
同じ言い方一つでも「この人にとっては配慮になる」のだけど、「別の人にとっては否定になる」みたいなことって山ほどあると思うんです。
もっと細分化しようとすると、その人の今の気分や状況や環境次第で配慮のレベルや種類って変わってきます。
こちらは配慮のつもりだったけど、相手にはその配慮が伝わらなかったなんてことも山ほど起こり得るわけです。
でもこれってYouTubeなどのネット環境に限らず、日常生活での職場とか取引先とか学校や街中でも当たり前に起こることかと思います。
となると、YouTubeに限った話ではないということにもなります。
どんな状況や環境であっても「私は私で、相手は相手」なんです。
私とあなたは対等である。
ということは、「それを言われて私はこう思った」「傷ついた」「こう感じた」っていうのも表現して良いし相手に伝えてもいいんです。もちろんどういう意図や目的でそれを伝えるのかを自分がしっかり認識しておくことも大事です。
その上で、今回のご相談に対して私が一番疑問に感じた点は、
>このコメント受けた私は正直、そこまで配慮しなきゃダメ?と思ってしまいました。
>ネガティブな印象持たないでね!みたいな圧にどうも納得が行きません。
>正直、独身の私はそこまで配慮をされたことがないので、求められるばかりだなあと感じており、今回のコメントに納得いかない理由の一つであることも自覚しています。
というところです。
いろんなタイミングが重なってしまい、自分はそんなつもりはなかったけど、自分の発言で相手に対して何かしらの不快な思いをさせてしまった場合、素直に「ごめんなさい」が言えるんです。
「こういうこともあるんやな。次からは言葉使いに気をつけよう。色々と気づかせてくれた人たちに感謝やな」で学びに変えることができます。
尚且つそこまでモヤモヤも残りませんし、それが怒りの感情だったとしても数秒で平常心に戻れると言いますか、切り替えができると言われています。(感情の抑圧とは違う作用)
じゃあ今回のおかぴさんのように終わった出来事に対して気が重く感じたりモヤモヤが続いたりする場合、「何かに執着しているんだな」と捉えることができます。
何らかの執着が潜んでいる場合、私たちは至る所で正しさの争いをしてしまいます。
どちらが正しいか間違っているかを世間的なベキネバを使って判断したくなったり、多数決をとって判決を仰ごうとします。それは自分がこれ以上傷つかないための防衛です。
自分が勝てそうな時は強気に出れるけど、負けそうになると言い訳をしたくなったり、私ばっかり損してるという屈辱的な思いが強くなってしまったり・・・ね。
さて、ここで一つ選択をしましょうか。
おかぴさんもこのブログを読んでくださっているみなさんも、誰もが自分の住む世界は自分で選ぶことができます。
おかぴさんはどんな世界の住民になりたいのでしょうか。
勝ったの負けたので傷つけたり傷つけられたり、そんな世界に住み続けたいでしょうか?
それとも誰にも遠慮することなく自分のやりたいことをどんどんやって、周りに祝福されて応援されて、自分らしい在り方でご機嫌に生きていきたいでしょうか。
まずはこの辺りをよく考えてみると良いかもしれません。
いちいちベキネバに縛られて、どちらが正しいの間違ってるだのの戦いに挑まなくても良いのですよ。
まずはその終わらない闘いから降りましょう。
その闘いから降りることは負けることや逃げることではなく、〝自分が本当に大切にしたいことに時間を使うため〟です。
そこで少し質問ですが、
>きっと友人は友人で私に対していろいろと感想を抱いていると思います。この子30過ぎてまだ独身なんだな~とか(笑)
について、ご友人がおかぴさんに対して上記のような感想を抱いているだろうなというのは、なぜそう思われたのでしょう?なぜそう感じるのでしょう?
実際に言われた経緯があるのでしょうか?
もし実際に言われたわけではないのならば、どうしてそう感じるのでしょう?
ちょっと嫌な言い方かもしれませんが、おかぴさんはアラサーで独身である自分に対してどこか負け犬感を持っていませんでしょうか?
自分がそういう目線で自分のことを見ている限り、周りの人に対しても「どうせ私のことをそうやって見下しているのだろうな」とか「そうやって私のことを馬鹿にしているんだろうな」とか「私のことを惨めな奴だなと思って見ているんだろうな」という否定的な視点で人と接するようになってしまいます。
そうやって自分を否定したり自分に嫌悪感を抱くことが癖になっていると無意識に「怒り」を溜め込んでいきます。
なぜおかぴさんはご自身に誇りを持てないのでしょうか?
なぜそんなにも自分に惨めさを感じているのでしょう?
少々痛い質問かもしれませんが、この辺の感情を深堀りされると良いかもしれません。
>正直、独身の私はそこまで配慮をされたことがないので、求められるばかりだなあと感じており、
おかぴさん自身は自分に対して配慮できてるのかな?
日頃から自分の本音をどれくらい認識して理解して行動してあげれているでしょうか?
周りから大切に扱われたい思いが強くなったときは、「私は普段から自分を大事にできているかな?」という問いかけをしてみてください。
まずは自分から。
*まとめ
ご自身のことをアラサー独身女性だとおっしゃっていますが、その現実をどう捉えて生きていくか?は自分で決めることができます。
「生き様」と言ったところでしょうか。
アラサーで独身であることを「私は売れ残り」とか「選ばれない女」と捉えて生きていくのか、「そもそも本当に売れ残りなのか?」「本当に選ばれてないのか?」という違う視点や疑いの目で捉えてみたり、「実は見えないところで争奪戦が繰り広げられてる」と捉えることだって可能なわけです。
ご相談文の中でも「自由」という言葉が何度か使われていますが、どうせなら自分のやる気の出るような、自分が気持ち良いと感じられる方向に対して自由な発想を使ってみてはいかがでしょうか。
自分のことを大切に扱っていれば、万が一怒りを感じるようなムカつく出来事があったとしても「あんな感じの人でも誰かの大切な人なんだよな」とか「この出来事で私は何に気づく必要があるのか」という風に、一歩引いて捉えられるようになります。
おかぴさんはどんな大人の女性でどんな在り方で生きていきたいのでしょう?
そんな思いに耳を傾けて、自分が自分に対して配慮や理解を示してみても良いのではないでしょうか。
まずはそのための心の余裕を作っていきましょう。
じゃないと一生懸命頑張ってるおかぴさんが勿体無いですよ^^
回答は以上になります。

この回答が少しでもお役に立てると幸いです^^
この度はご相談をいただきありがとうございました。
いつでもおかぴさんの幸せを祈っています。
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