こんにちは!
中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラー
中辻はるかです
本日はオンラインカウンセリング「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談への回答になります。
ココロノマルシェとは…
根本裕幸カウンセラー/ココロノオフィス主催のカウンセラー養成講座「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラー達が、みなさんから寄せられたご相談を受け付けているオンラインの無料掲示板です。
たくさんのカウンセラーから回答がいただけますので、よかったらご利用くださいね^^
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◾️ご相談内容
ご相談内容はこちらです。
『介護中の親に対する罪悪感と複雑な気持ち』
40代長女、両親とは離れて住んでいます。
隣県ではありませんが仕事の出張や旅行で考えると、日帰りでは行ける程度の距離です。
介護を必要とする病気にかかっている父と、その介護を自宅でする母に対する気持ちについて相談したいです。
特に母に対してです。
自分だけ呑気に暮らしている罪悪感と同時に、過去のわだかまりから距離を置きたい気持ちもあり、苦しいです。
母は、特に精神疾患があるなどではありませんが(診断を受ければ何かでるかもしれませんが)、
自己肯定感が低く、誰かの役に立っていないと自分の価値が感じられないと思われるような自己犠牲の精神が強いです。
自分にかける負荷を自分で調節できず、ストレスを溜めまくった末に私が愚痴を聞く、というのが幼い頃からのパターンでした。
元からそのような性格なところに父の病気が発覚し、
足腰が弱っていく症状で介護認定は限界まで来ており
認知症まではいかないものの、コミュニケーションもハキハキとはできなくなりました。
私は自宅での介護は難しいのではないかと思いますが、母は寝る間も惜しんで毎日介護をしています。
良いのか悪いのか、それができてしまう体力と忍耐力があります。
介護の相談を受けられないのか聞いてみても、ケアマネさんに提案されてもお父さんが嫌がるからとか、施設はお金がかかるからとのらりくらりされます。
「お金がない」が口癖ですが、何がどのくらい足りないのか聞いても明確に答えは返ってきません。
私から見ると、父が苦しい思いをしている横で母が自分らしく暮らすというのが罪悪感が強すぎてできないのだろう、というのと、
世話をする対象がいなくなることのほうが恐怖なので、しんどい思いをしてでも父と一緒にいたいのだろうと思います。
それにいろいろと理由をつけているだけに見えます。
(罪悪感の母子連鎖ですよ…まったくもう…泣)
というわけで、母は解決をしたいのではなく私に話を聞いてほしいだけなのかもしれませんが
私は相手が誰でも全般的に解決する気がない人の話を聞くのが苦手で(男性性強いです)、また、しんどい思いをすれば娘に話を聞いてもらえるという、ねじれた愛の要求を助長するのではないかとも思い、あまり話を聞きたくないなというのが正直なところです。
「お母さんは立派な大人だから自分で解決できるよ」という考え方も学びましたが、
どのくらいの年寄りにまで適用していいものか、迷ってしまいます。
その一方で、私の「子どもの心」が消化しきれてないような気もします。
両親の近くに住んでいる妹がおり、妹と膝を突き合わせて話したことはないですが
妹は私よりも冷静な見方をしている気がします。
近くに住んでいるから必要な時は手を貸すし、大丈夫だと判断した時は妹自身の生活を大事にする、という腹がすわった対応で羨ましいです。
私だけ、遠くでなんの役にも立たないのに1人で悶々として
ゆるやかに体調も悪くなって、意味ないじゃん、と思ってしまいます。
手を貸したいのか貸したくないのかわからず気持ちがグチャグチャです。
日本各地で大きな天災があった時も、自分は被災していないのに不安や罪悪感を感じやすいです。
私1人がこんなところで悶々としたり自粛したりしても意味ないし、それならもっと生産性のあることをしなよ、と自分で思うのですが…
そんな感じで相手が親に限らず私はそういうところがあるので、
罪悪感が強くなればなるほど行動ができなくなって、場合によっては更に罪悪感を強めることになる、
こんなところも直したいなぁと思っています。
誰かのためというより、私自身の人生をもっと生きたいです。
何かご意見、アドバイスありましたら教えて頂きたいです。
(ご相談者様:まーさん)
まーさんこんにちは!
はるかが回答させていただきますね!
*カウンセリングだったら扱うところ
今回のご相談をいただいて、私がご相談者様に対して一番感じたことは、親に対する罪悪感を使って何か隠しているものや見て見ぬ振りをしている感情ってない?という点です。
「罪悪感は仮初の感情なんですよー」とカウンセラーに言われたら「え?マジすか?」「いやいやそんなはずはない!親に対して申し訳ねぇって思ってるもん」ってなりますよね。
親に対しての罪悪感も嘘ではないと思いますが、まーさんが本当に悩んでいることというか本音というか主訴は親に対する罪悪感ではないんだろうなとよんでいます。
私がなぜそう感じたのか?まーさんが本当に抱えている悩みやご相談は何なのか?という点から回答していきたいと思います。
*回答
罪悪感を感じちゃうのも性癖だからなぁ、その性癖を治したいってことは個性を無くしたいってことになるしなぁ、それはカウンセラーとしてはおすすめしないやり方だしなぁ、、、
と、優雅にお紅茶をいただきながらパッとしない曇り空を見上げた今日この頃でございます。どうもこんにちは。
実はわたくし介護福祉業界に勤めていた経験がありまして、まさにご相談者様のご年齢的にも親の介護の心配が出てくるあるあるなご相談だなぁと感じました。
介護福祉業界を通していろんな形の家族を見てきましたし、それこそまーさんのご家族のような方にもお会いしてきました。
まーさんのご両親は60代後半か70代ってところでしょうか?
となると団塊世代からちょい手前?になるのかしら????
この年代の男性は高度経済成長を支えてきたバリバリ仕事を頑張ってきた世代というか、「ザ・男!」って感じの男性が多い世代でもありますよね。
私が水商売のお仕事をしていた時もお店のママのお客様がこの世代だったんですが、まぁびっくりするくらい元気です(笑)
最近の20代30代なんかよりもダントツで覇気がありますし、もちろんお酒も強いですし体力も有り余っている感じが伝わってきます。そしてよー喋りますわ(笑)
と同時に、結構こだわりなんかも強い傾向が伺えちゃったりします。
そんなバリバリ男性性で生きてきた時代の方だからこそ、己の弱いところは受け入れたくない&見せたくないと言いますか、やはりイメージ的にも介護福祉施設のような場所を使うことに大きな抵抗がある方も少なくありません。
なので、
>介護の相談を受けられないのか聞いてみても、ケアマネさんに提案されてもお父さんが嫌がるからとか、
とお母様がおっしゃっている内容も嘘ではないのだろうと思います。
ましてやまーさんのお父様は、身体に不自由があっても認知機能には問題がないのでしょう?
となると余計に介護サービスを使うことに抵抗が出ると思うのです。
しかしまーさんの立場としては、お母様のご年齢や身体のことやこれまでの苦労も見てきているためか「このまま共倒れになってしまうのではないか?」という心配や不安も出てくるのだろうと思います。
>「お母さんは立派な大人だから自分で解決できるよ」という考え方も学びましたが、どのくらいの年寄りにまで適用していいものか、迷ってしまいます。
いやー本当にそう思いますよね。体力的にどんどん弱っていく親を見ているとそう感じちゃうのも無理ないですよねぇ。
ちなみに、この「自分で解決できるよ!」という考え方についてですが、別に冷たく突き放して放っておけって意味ではないのですよ。
どちらかというと見守るとか信頼を贈るという意味です。
「何かあった時は対応するし、困った時は言ってきてね、できるだけ協力するからね」というスタンス。
まーさんだって親の介護をするために生まれてきたんじゃないでしょ?
この「どのくらいの年寄りにまで適用していいものか」という部分で迷いが出てきてしまうということは、お母様に何かあった時にまーさんが「あの時私が構っていればこうはならなかったのに!」という罪悪感を感じてしまうことを恐れているから、余計に複雑に考えて迷ってびびってしまっているとも言えるんです。
その点では妹さんの存在はありがたいですね。
こういった家族の相談ができる相手というか、同じ親から生まれてきた同士がいるってことは本当に心強いことだと思います。
*
さて、家族に対してというか特に母親に対して罪悪感があるとのことですが、まーさんにとって何か見て見ぬ振りをしている感情が他にありませんか?というところを切り口に今回は回答していきたいと思います。
そうです。家族に対しての罪悪感、母に対する罪悪感は仮初の悩みでは?と中辻カウンセラーは邪推しているのです。(ニヤニヤ)
*
その前にまずは罪悪感という感情について少しご説明したいと思います。
罪悪感という感情は簡単にお伝えすると「私は罰せられるべきだ」「何もできなくてごめんなさい」といった感情なんですが、そのフィルターを通して物事を見ている限り、全部が罪悪感一色になってしまうんです。
極端にいうと「今日も雨なのは私のせい」「ポストが赤いのは私のせい」といった感じ。
もっと別なもので例えるなら、本当は色鮮やかな世界なのに「罪悪感」というメガネをかけてしまえば全てが灰色の世界に見えてしまうということです。
ピンクの薔薇や真っ赤な薔薇、黄色い薔薇など、この世は色鮮やかな世界なのに罪悪感という眼鏡をかけてしまえば全部が灰色の薔薇に見えてしまうんです。
ということは、罪悪感という感情自体は全て幻で、私たちに大切なことに気づかせないための仮初の感情ってことなんです。
罪悪感を使って灰色の世界に見せておくことで、本当はこの世に色鮮やかなものが存在するということに気づかせないためにうまいこと仕掛けられているということです。
そこで、まーさんに質問です。
まーさんはお父様やお母様に罪悪感を感じることで、何を見て見ぬ振りをしているのでしょう?
ご自身に関することで何か他に放置している感情、隠している感情、見て見ぬ振りをしている感情はありませんか?
お父様やお母様に罪悪感を抱くことで、まーさん自身のどんな悩みや問題をカモフラージュしているのでしょうか?
もちろん、お父様、お母様に対しての罪悪感が嘘八百だと言っているのではありません。
でもまーさんが本当にご相談したい内容は、お父様やお母様への罪悪感ではないんだろうなという感じ。
で、私のカウンセリングだったらまずはこの辺から質問しつつ深堀していくと思います。
しかし、残念ながら今回はカウンセラー側が一方的に回答するしかないので、ここからは私の勝手な推測になりますので、もし違っていたら悪しからず。
*
まずご相談文を読ませていただきながら何となくですが、まーさんは自分の存在意義や存在価値に疑問を持っていらっしゃるのかな?と感じたんです。
「私って必要ですか?」
そんな思いを持っていませんか?
家族、またはその他人間関係に対してそんな漠然とした思いってありませんか?
お母様に関する特徴として
>自己肯定感が低く、誰かの役に立っていないと自分の価値が感じられないと思われるような自己犠牲の精神が強いです。
とおっしゃっていますが、この部分はまーさん自身にも当てはまるところはありませんか?
そしてここが一番の本題なのですが、本当はお母様のことをどこかで「羨ましい」と感じていたりしませんか?
羨ましい・・・
それを感じたのがこの一文です。
>私だけ、遠くでなんの役にも立たないのに1人で悶々として ゆるやかに体調も悪くなって、意味ないじゃん、と思ってしまいます。
極端に例えると、「私が死んでも誰も困らないのでは?」のような感覚です。
自分の人生に対して生産性が感じられてないとでも言いますか、自分が生きてる意味というか、やりがいというか、そんなものが欲しい、でも私には何もないし何もできないと思い込んでいる。そしてそんな悶々としてばかりで何もしない自分にも、どこか諦めのようなも境地に陥っているといった感じでしょうか。
それに比べて母は寝る間も惜しんで毎日父の介護をして、お金がないと愚痴をこぼすししんどそうにも見えるし、そんな母の生き方を嫌悪しているんだけれども、でもどこかである意味充実した日々を過ごしている母が羨ましく感じているまーさんもいるんです。
「誰かに必要とされていて、誰かのために生きて生活してるって羨ましいなぁ」
しかし、まーさんの過去にどんなわだかまりがあったのかわかりませんが、母の代わりに父の介護がしたいわけではないんです。
母を加勢するために父の介護がしたいのであれば、とっくの昔に実家近くに移り住んでいるはずだからです。
でもそうではないんでしょう?
自分の人生を生きることで、結果的に誰かに必要とされているポジションが欲しいんです。
でも自分には何もないし自信もないし、人の役に立てるようなものは何も持ってないと思っているから、動きたくても動けません。
その理由は、「こんな私でも誰かの役に立つことができる」とは思えてないからです。
「私には与えられるものが何もない」と思い込んでいるからです。
なので、やはりライフワークが鍵を握っているんだろうなと思います。
まーさんはどういう人生を生きたいのでしょう?どういう人生を手に入れたいのでしょう?どんな感情を感じながら生きていきたいのでしょう?
今回のご相談に関して私からご提案するとしたら、まーさんが過去にやりたかったけど諦めてきたことってない?それを今やってみましょうよ!挑戦してみましょうよ!とお伝えします。
過去にこれをやってみたい!これに挑戦してみたい!これを頑張りたい!と思っていたけど、何らかの理由で諦めてしまったことはありませんか?
面白そうだ!ワクワクする!と思ったけど、いざやろうとしたらお金がかかるとか時間がないとかコロナ禍になってしまったとか、現実的な面で諦めてしまったことってありませんか?
もし今時間もお金も年齢も何も縛りがないとしたら、何に挑戦したいですか?
ここでヒントになってくるものは子供時代のまーさんです。
>その一方で、私の「子どもの心」が消化しきれてないような気もします。
ワクワクって子供時代のエネルギーを呼び覚ます効果もありますからね。
ワクワクすることにエネルギーや情熱を注いで生きていくことで、罪悪感の母子連鎖をまーさんの代で止めることができます。
*まとめ
「自分だけ呑気に生きてて申し訳ない」という感情の裏には、「あんたらのせいで私は自分の人生が生きられないじゃないか!どうしてくれるんだよ!」という怒りも、実は同時に溜め込んでいっているのです。
これは自ら被害者ストーリーを作っているとも言えます。
罪悪感も無価値感も全て幻なんです。
幻を見せてくれることによって、私たちに本当のことに気づかせないように仕向けます。
罪悪感を感じさせることによって愛に気づかせないようにしますし、本当は誰かの役に立ちたい思いがあるから無価値な自分を連想させます。
罪悪感や無価値感は誰でにでもある感情ですが、その感情だけに惑わされないことが大事。
罪悪感や無価値感に溺れそうになった時は、
本当は何を手に入れたいんだろう?
本当はどんな自分でいたいんだろう?
と自分に聞いてみてください。
その視点が自分の人生を生きていくための地図になっていきます。
罪悪感で自分の人生を犠牲にするのではなく自分が手にしたい人生を生きて、そこで得たエネルギーを使って家族を助けることだってできるんです。
家族を助けるのは、まずは自分が幸せになってから。
それは自己中でも何でもなく、当たり前のことなんですよ。
親は子供の幸せを一番に願っています。
愚痴を聞いてあげるとか、親の近くに住むとか、お金の加勢をするとか、そんなことをして欲しいという思いよりも「お父さん、お母さん、私幸せだよ!」と堂々と言えるくらいハッピーな人生を送って欲しいと願っているものです。
それが一番の親孝行であり、本当の意味で親を助けるってことにも繋がります。
堂々と自分が手に入れたいビジョンに向かって歩き始めましょう!!
回答は以上になります。
この度はココロノマルシェにご相談いただきありがとうございました^^
私はあなたの幸せをいつでも祈り信じています。
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