「そんな人やめときなよ」と言われる恋愛しかできなかった私が抱えていた孤独感と寂しさ

私のこと

こんにちは!
中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラー
中辻はるかです!

10月の予定がびっくりするくらいびっしり詰まっていて、我ながら引いている今日この頃。

「まじで何事?涼しくなったからか?」と感じつつ、もしや?と思っている節もありまして・・・。




先日、カウンセリングの勉強としてとある講座を受けてまいりました。

テーマは寂しさ・孤独感の感情について。

秋晴れ爽やかな休日の午前中からこんな重たい内容の勉強会に参加するなんて私も変態だな(笑)


前にもどこかに書いたような気もしますが、私のカウンセリングに来られるクライアント様は何かと寂しさや孤独感を抱えている方が数なくありません。

最初から「寂しいでーすっ!!」と認識できている方はほぼいなくて、継続的にカウンセリングを受けてく過程で自分の中の孤独感や寂しさを発見する方の方が多い傾向にあります。


普段は目の前の生活に忙しくしていて寂しさなんて感じていなかったけど、自分と向き合う時間を作り始めて認識できるようになってきたというめちゃくちゃ良い傾向なんです。

「自分と向き合っているのに寂しいってなぜ?自分と向き合うと繋がりが感じられるようになるんじゃないの?」って思いますよね。

孤独感や寂しさはあまり喜ばしくないイメージの感情なのですが、こういった慢性化して感じられていなかったものが沸々と出てくるようになるということは、カウンセラー側からするととても良い傾向なんですよね。



人によっては「なんでこんなに寂しいの!?しんどい!やだー!」とテンパってしまい、何か別のもので蓋をしようとジタバタする人もいらっしゃるほど。(より刺激的な男を取っ替え引っ替え集めたり仕事を忙しくしたり暴走する感じ)

しかし、そこは「大丈夫やでー」「良い傾向よー」「そのまま感じとこー大丈夫大丈夫ー」なんて言って宥めている私です。

自分と向き合い始めたのに孤独感や寂しさが出てきたということは、それくらい本来の自分を切り離して分離して生きてきた証拠なんですよね。

そんなつもりは微塵もなかったでしょうけど。

「彼氏が夫がそばにいるから寂しくない」とか、「誰かと離れているから孤独だ」という物理的なものよりも、誰かと一緒にいても心の繋がりが感じられなければ寂しいし孤独なんです。

ただただ自分の心がそう感じていただけなんです。



なので、寂しさや孤独感が出てきたということは、本来の自分と出会えた証拠とお伝えしています。


そんなこんなで、寂しさの感情とやらの勉強会に参加したら色々と自分の過去を思い出しちまいましたので、

ついでと言ってはなんですが、私の慢性的な孤独感と寂しさについて書いていきたいと思います。(前戯が長い!!)


◾️私の慢性的な孤独感と寂しさ

両親不仲で育った私の孤独感と寂しさ

私の両親は毒親とまではいきませんが、私が物心ついた頃から何かと喧嘩が絶えない家でした。

「親同士の会話が始まる時は喧嘩が始まるとき・・・」という謎の方程式が自分の中にあったほど(笑)

それくらい家族の会話がない環境でしたし、両親の会話が始まる時は相当緊張していた記憶があります。

幼い子供にとって親の喧嘩を見せられるということは、世界大戦を目の当たりにしている心境なんですよね。恐怖でしかない。

そんな「うちの家族は他とは違う」という社会との隔たりを感じ始めたのは、私が小学生くらいからだったと思います。

仲良くなったお友達の家族は、みんな親同士の会話がナチュラルにある。親同士の仲が良い。

親同士だけでお出かけしている。

家族で車で出かけるときはお父さんが運転席で、お母さんは助手席。



でもうちの家族は、家族みんなで外出したがらない。

父親は何も言わないけれど、特に母親は嫌がる。母は父の運転する助手席なんかに座りたがらない。

「はるかが助手席座ってよ」と言われ、「私だって後部座席に座りたい」という思いを吐露したこともありますが、そこは「お姉ちゃんでしょ」という謎の圧がかけられるわけで。(いま思えば超理不尽だよな笑)

かといって、父に対して「助手席乗りたくない」とは言えなくて。


小さかった妹に後部座席を譲り、イヤイヤ助手席に座っていた記憶があります。

なぜかわかりませんが、父親に「お前みんなから嫌われてるぞ」ってバレたくなかったんですよね。



「私の主張は受け入れてもらえない」

「私さえ我慢すれば場が丸く収まる」

「私が何も主張しなければみんながハッピー」

その習慣は、いつの間にか自分の本音がわからなくなる状態へと変わりました。

そうやって自分の本音を切り捨てていきました。

自分の純粋で正直な思いが否定されることが繰り返されると、人って自然と自分の本音を表に出すこと自体を諦めていくんですよね。

「言っても無駄」みたいな。
私の主張は何も影響を与えることができない。

誰にも受け入れてもらえない、理解してもらえない、自分の思いを主張しても無駄、お姉ちゃんだからという今更どうすることもできない立場を利用しての圧。


そして「うちの家族は他の家とは違うんだ」という孤独感と寂しさ。

この環境が幼い私にとってどれだけ悲しかったことか。

当たり前だったからこそこの環境を受け入れるしか方法がなくて、大人になってから改めて思い出してみても辛かったなー寂しかったなーと感じます。



そんな環境や状況に嫌気がさしていたのか、友人に大嘘をついたこともあります。

当時仲良かった友達に「うちに赤ちゃんが生まれるかも」って嘘をついたんです。

おそらく当時の私は、友人の両親が仲良しで羨ましかったんだろうなと思います。(どの友達に嘘をついたのか覚えてないけど笑)

今思えば、子供が生まれる=「家族の仲が良い」というイメージだったんだろうなー。

子供が考えた嘘とは言え、あながち間違ってないと言うか的を得ているというか、新しい命が生まれることをそう捉えていたんだなと思うと自分のことながらなんか切なくなります。

それくらい私は自分が生まれた環境に絶望していたんでしょうし、何か変化の前触れというか光を求めていたんだろうなとも思います。

自ら孤独を選んだ学生時代

思春期に入って最初に感じたことは「女ってなんでこんなにめんどくさい生き物なんだろう」ということでした。

どこか冷めていたんですよね。

女子同士の噂話とか、誰が好きとか嫌いとか、誰が付き合ってるとか云々カンヌン。

「なんで女子って集団でトイレに行くわけ?トイレのタイミングくらい自分で決めさせてよ」と思っていましたし、トイレで繰り広げられる陰湿な噂話も嫌いでした。

あんたら暇かよ。


たぶん私のそういう態度が気に障ったんだろうな(笑)

なぜか意味不明な噂話を拡散されたり、クラスの女子からの集団シカト、仲間はずれetc

挙げ句の果てには担任の先生からいじめっ子と認定されて、その件で三者面談で怒鳴られ(すべて担任の誤解)、ものすごい屈辱を味わったこともあります。


なんでこうなる?

私がなんかしたんか?

クラス替えしてもこんな調子でクラスのメンツとは馴染めない。

中学時代は本当に暗黒時代というか全然面白くなかったです。

だったはずなのに、出席日数は皆勤賞なんですよね(笑)

それくらい自分の本音を無視した言動に慣れていたという証拠でもあります。

自ら孤独になることを選んで引き寄せたもの

「女が孤独になるということは男にとっては都合が良い」という話を聞いたことはあるかい?

「友達がいない女子の方が男性に好かれやすい」みたいなことも何かの動画で聞いたことがあります。

(その理由はここでは割愛します)

女子の集団が苦手と思いながら、高校は女子校に進学してしまった私。

同じ学校で同じ方向の同級生もいましたが、一人が気楽だった私は一人で通学していました。

そしたらさ、痴漢にあうわけですよ。

車両を変えても電車に乗る時間を変えても痴漢に出くわすわけです。

当時は今よりも痴漢に対する関心が低かったので、駅員や学校の先生に相談してもあまり効果がなく。

ここで男性不信が強化したのは言うまでもありません。




女はめんどくさいし男は気持ち悪い。


誰かに相談しても助けてもらえない。

「自分の身は自分で守るしかないのね」という悟り。

この経験も私にとっては孤独だったし寂しかったし、誰かに助けを求めても対応してもらえないし、「私の力がもう少し強ければ」と自分を責めることで自分を納得させる方法しかなくて。

これも寂しかったなぁ〜。まだ高校生なのにさ。

よく頑張ってきたよなぁ〜と思います。


唯一の慰みは創作と音楽とファンタジー

思春期前後の私の孤独感や寂しさを癒してくれたものってなんだっただろう?と思い返してみた時にふと出てきたものは、芸術の世界でした。

小さい頃から創作が好きだったんですよね。


絵を描いたり、工作したり、架空の物語を描くことも好きでした。

自分がやりたい放題できる、自由にできる、誰にも何も文句を言われない世界。

絵や工作の世界って特にルールもありませんし自分が思いついたままに創作したり描いたりするのが好きでした。

色彩豊かな状態も好きで、大人になってからはいろんな色のアイシャドーを集めていた時期もあります。

創作用の道具を見に行くことも好きで、暇を見つけてはロフトへ行って絵画の道具を漁っては妄想したり購入して、みたいなことをやっていた時期もあります。


部活は吹奏楽部だったんですけど、大人になってからも演奏会に行ったり好きな楽団の追っかけをしていた時期もありました。


あとは長編物語が好きで、ハリーポッターの世界にめちゃくちゃどハマりしました。

魔法の呪文を覚えたり、その呪文の言葉の由来を調べたり(大体がギリシャ語からきている)、ネットでハリポタ検定を受けたこともあります(確か2級くらいまではクリアした笑)

児童書ですがものすごく長くて重さのある本を何回も繰り返し読んで、ホグワーツ魔法魔術学校から入学のお知らせが来ないかガチで妄想していました。

もう完全に現実逃避でした(笑)

暇さえあれば、登場人物の名前を書き出して暗記したり(ハリーポッターはものすごい量の登場人物が出てくる)、いま思えば普通にオタク化していた気がしています。


魔法が使えたら透明人間になりたい、空を飛んでみたいと常に思っていました。

純粋に好きなものや世界だったんですけど、あ改めて思えばそうやって孤独感や寂しさを感じない時間を作っていたような気もしています。

私が好きになる男はみんな私を寂しくさせる

私が一番執着した男であり、私が心理学の世界に入るきっかけになった男がいます。

その男性は、私が初めて自分の家族に対する孤独感や寂しさを共有できた人でした。

何を具体的に話したのか覚えていませんが、心に溜まっていた色々なことに対して彼は共感してくれたんですよね。

私の味方になってくれたんです。

友達にもシェアしたことのなかった思い。


そんな思いに共感してもらえたら、まぁ好きになっちゃいますよねぇ。笑

自分でも受け入れられなかった思いを赤の他人に共感してもらえたら、そうなっちゃいますよ。

そこでうまくいけばいいんですけど、大抵はうまくいかない恋愛になる。

私はそもそもが「言っても無駄」「誰かに自分の思いを話しても無駄」という思いを抱いていましたから、人に対して相当な不信感を持っていましたし、気付かぬうちに私は誰にも話せない思いを溜め込んで周りと分離していたし、自分で選んだとはいえ孤独や寂しさを抱えていたということです。

慣れすぎて全然気づいていませんでしたし、誰とも連まず一人で行動できることが良いことだと思っていたし、誰かと一緒じゃないと不安な人は子供っぽいと思っていたし、女子っぽのも嫌っていたし。(そんな自分が一番女子〜♪笑)


自分が女性であることを認めていなかったし、女性であることを禁止していたし、父や親戚を含めた男尊女卑の環境や通学中にあった痴漢の経験から男嫌いでもあった中で初めて「私の話が通じた」と感じられた相手が彼だったかもしれません。

そんな安心感を感じちゃったら、これまで自分が封印していた依存心が暴走し始めるわけですよ。

自分にとってその依存心は呪いが解けた妖怪くらい恐ろしいものに感じるんですけど、封印していたくらいなので扱い方を知らなかっただけなんですよね。

と言うか、誰も扱い方を教えてくれなかった。

我慢や犠牲する方法でしか学べなかったし、それが大人たちからしても都合が良いので手っ取り早かった。


そうするとデフォルトのように好きになる相手にも都合の良い女を演じてしまっていたんよね。

そんなつもりはないのに気づけばセカンド。

気づけば身体だけの関係。

音信不通や未読・既読スルーは当たり前。

本当にシャレにならないくらい音信不通が普通でした。


なんで?どうして?私が何かしちゃったのかな?彼の何か気に触ること言ってしまったのかな?何か迷惑なことしてしまったのかな?もしそうだとするなら言って!自分のダメなところちゃんと直すから!って思って何でもかんでも自分のせいにしていました。


「自分は人に迷惑をかける存在だ」という思い込みがあったので、「自分の大好きは相手にとって迷惑だ」とも思っていました。

普段の自分も嫌いだったけど、恋愛してる時の自分はもっと嫌い。

だって妖怪のような依存心がぬぅっと出てくるから。



「じゃあ恋愛なんかしなきゃいいじゃん」と思いつつも自分の中にある漠然とした不安や孤独感や寂しさが限界を迎えていたからこそ、それらを感じないようにするために必要以上に彼のことを考える時間やエネルギーが必要だった気がしています。

だから好きになる相手はダメンズである必要があったし、音信不通や未読既読スルーを平気でかましてくる男がよかったし、そこで孤独感や寂しさを感じることで自分を癒そうとしてきたんだろうなとも思います。



「そんな人やめときなよ」

「もっといい人いるよ」


と言われても全然受け取れないどころかむしろ余計に孤独感を増幅させていったし、そんなこと他人に言われなくたって重々わかっていたけどやめ方がわからなかったし、「次こそは!」と思った相手からも音信不通にされたりとか五万とあったし。


特に20代は誰にも言えない恋愛、誰からも祝福されない恋愛ばかりしていたなぁと思います。

私としては、ただ誰かを好きになっただけ。

それも辛かったし寂しかったけど、そうすることでしか自分の寂しさや孤独感を認識できなかったんだよな。

そうやって感情を洗濯機のように振り回してくれる相手じゃないと何も感じられなくなっていたんだから。



◾️カウンセリングでは孤独感や寂しさをどう扱っているのか?

私の元に訪れるクライアントさんには、たとえその恋愛が誰がみても不毛な恋愛だったとしても「そんな男はやめとけ」とは言いません。

どんな形の恋愛であっても否定はしません。(かといって浮気や不倫を肯定しているわけでもないです)

「ちょっとリスキーかもしれないよ」という忠告をすることはありますが、カウンセリングでは意中の彼に対して行動を指示したり制限したりすることはやっていません。


その恋愛を通してどう自分と向き合うのか?の方が大切なことだからです。




否定する方が簡単ですよ。無きものにしたら良いわけですから。

ただ、感情は自分が死なない限り完全には無くなってくれません。

嫌な感情だけを麻痺させることができれば良いのですが、感情は全部がつながっているものですから、嫌な感情だけを麻痺させようとすると喜びや楽しさも感じられなくなってしまうんです。

なので、嫌悪感を抱く感情と仲良くなっていくことが必要。

寂しい妖怪が暴走してもその思いをそのまま吐き出してもらいます。

我慢しようとしたり、ダメなものとしてジャッジして扱っているから余計に暴走するんです。



感情そのものを良いもの、悪いものとしてジャッジしないこと。

出てきたものはそのまま出す。

そのサイクルが自分の中に確立されていけば、自ずと安心感が芽生えていきます。

刺激的な男性で自分の孤独感や寂しさを感じないようにしようとすることも段々と減っていきます。(この辺は性癖でもありますので完全に無くなるとは限らないのがポイント笑)



好きなタイプが変わるのか?というと、その場合もあるしそうじゃない場合もあります。

刺激的な男を求めずとも、自分がそやつらよりも刺激的な女であることを受け入れていけば行くほど、刺激的なものを外に求めなくなるという感じです。

それは自己肯定感だったりライフワークだったり、自己充足につながるものなんですよね。




ぜひ、その安心感をカウンセリングで体感してくださいね^^



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中辻はるか
中辻はるか

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