愛って何よ?何なのよ?

日々のコラム

私にはずっと繰り返している問題がある。何かと壁になってしまう悩みがある。そして思い出したことがある。

悲しいわけじゃないけど、なんか今日はずっと泣いてたんだよね。



今日はそんなシコリについて、思いついたままそのまま書くわね。






私だってありのままで愛されたい。

不完全なままで愛されたい。

なのに、

私が愛する人は、いつも私には無いものを欲しがり、私には提供できないモノやコトにこだわった。




「それはやりたくない、持ってない、出来ない」と伝えたとしても

「いや、僕(私)はあなたから欲しい」と言う。

「君のソレをくれないと僕は君を愛せない」

と言う。




そんなあなたを愛するために、私は私を与える。

こんな私を愛してもらうために、私は私を削る。

エネルギーを消耗し、時間やお金、住処、カラダ、相手が欲しいものを欲しい時に色々与えてきた。



結構与えたし、期待にも応えた。

その結果、大抵のことはできるようになった。こなせるようになった。


本当は嫌なことだけど「えいや!」でできちゃう自分もいた。


相手が満たして欲しい思いが手に取るように分かるようになった。それで相手を満たせるようになった。

(私の「えいや!」はポジティブさというより、感情を切る音だったと後々知る笑)




そしたら

生理が止まった

血尿が出た

薬が効かなくなった

眠れなくなった

病気になった

働けなくなった






私が欲しいのはそんな世界じゃない。

私がやりたいことはそれじゃない。


不完全な私でも愛されたいのに、不完全では受け入れてもらえない私。



欲しがりません勝つまでは。



その思いは、満たされない思いとなって怒りに変わった。




私より頑張ってないのに愛されてる奴が憎い。

やる事やってないのにそれを受け入れてもらってる奴が憎い。

ブスなのに、性格悪いのに、コミュ力低すぎるのに、頭悪いのに、空気読めないのに、何の取り柄もなさそうなのに、同じ世界でのうのうと生きてる奴が憎い。



なんであの人はいいのに、私はダメなの?

なんであの人は許されてるのに、私はダメなの?

私はあいつと何が違うの?

何が劣っているの?

何ができてないの?

何がダメなの?



とにかく自分が持ってる全てにバツをつけてダメ出しをした。

そしたらこんな思いが出てきた。




私は生まれてきて良かったのか?

ここに居て良いのか?

生きてて、意味ある?




自分の存在自体を疑うようになっていった。



そんな状態で



「ありのままでも愛されるんだよ」

「あなたは幸せになって良いんだ」

と伝えられても



「お前に私の何が分かるんや」

「安っぽい共感なんかしてくんな、イラつくだけじゃボケェ」

「私を受け入れたいんじゃなくて、お前が受け入れてもらいたいだけやろがぃ」

「ありのままって言葉聞いただけで蕁麻疹じゃい」




誰も私に近寄ってくんじゃねーよーーー!!




と、深いところではそう思っていた。

それでも周りは「はるかちゃん!はるかちゃん!」言うし、


あなたは素晴らしいんだよ

あなたはすごい人なんよ

ずば抜けた才能と価値と魅力を持ってるんよ

それだけは覚えておきなさい

それだけは忘れなさんな



と伝えてくれる人がいるわけで。



私は不完全なはずなのに、そんな不完全な私でもわーきゃー喜んでくれる人もいるわけで。




私のメンタルなんかクソ弱いのに、「いや、強い、強すぎる」と言う人が圧倒的に多いわけで。



意思弱いし根性なんてないのに、「いや、相当根性ある。一緒にいて分かる」と言う人も多い。




すると次の瞬間、私の中でどんな感情が出てくるか・・・

「どうせまた適当に言ってるんだろうな」

「お前らの下心は分かってるんだぞ」

「また私から搾取する気?もう騙されないんだから」

「不完全さを隠した私しか知らないからですよ」

「本当の私を知ったら血相を変えるんだろうな」

「そんな風に見えるのは、不完全でメンタル激弱な状態の私を見たことがないからですよ」







うっぜーーーっっ!笑

私うぜーよ!!



結局不完全な私のままで愛されたいんじゃん!

最初からそう言えよ我!笑






そう、私は不完全なままでも愛されたい。

ずっと前から不完全な私でも愛されたいと思って生きてきた。

でもどれだけ頑張っても真逆な現実しか起こらなくて、かといって褒められても認められても疑いしかなくて、それが苦しかった。






私は見えないものや抽象的な表現が嫌い。

愛ってなんだよって思う。

愛される、愛するってなんだよって思う。



愛愛愛愛うるせぇーーーー!



愛なんか信じない。

でも信じたい。

そこで葛藤してる自分もいる。





「いつまで受け取らないでいるつもり?」

「いつまでそこにしがみついてるわけ?」

「また言い訳して見過ごすの?」




そんな声も聞こえる。(これは天使か?悪魔か?)





何度も何度も間違っては修正して、自分にとっての心地良さを選択する。



「こんな私なんか愛されない」と切り捨てた自分を探して、抱きしめに行く。



「こんな私なんか愛されない」と捨てた私なんか本当は見たくない。

口の悪い自分、優しくなれない自分、穢れている自分、傷ついてる自分、癒されてない自分、何も知らない恥ずかしい自分、マイナス思考な自分、考えすぎる自分、頑固すぎる自分、可愛げのない自分、毒舌な自分、物が捨てられない自分、社会不適合者な自分・・・



でもそんな自分を一旦直視しろって周りは言う。





「私を捨てたのは私じゃない!お前らだろ!お前らがそうさせたんだろ!」

って言いたい。





でも親密感の怖れって、自分が自分と親密になることを恐れたから生まれるらしいわ。

(そこは素直か笑)




「こんな私は愛されない」も私だ。


そして「こんな私では愛されない」は思い込みだ。



こんな私でも愛される。

そしてすでに愛されてる。



尚且つ、捨ててきたはずの「こんな私」はみんなにはバレている。

そう、隠しきれていない。笑



例えるなら、子供がかくれんぼで頭と顔だけ隠して胴体が丸見えな感じ。




そんな私がいるのも分かってて、みんなは「はるかちゃん!はるかちゃん!」って言ってくれてるんだろうな。




私が私を探しに行く。

私が私を救いに行く。

そんなカウンセリングはこちらから。




こちらの記事に関して質問やご感想などありましたら、下記のフォームをクリックしていただきいつもでお問い合わせください!!メッセージもどしどしお待ちしております!

日々のコラム私のこと

セッションの最新予約状況やご利用については

以下よりご確認ください。

 

↓セッションメニューはこちらをクリック

 

↓中辻のカウンセリングの特徴についてはこちらをクリック

 

シェアする
中辻 はるかをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました