
こんにちは!中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラーの中辻はるかです!
前回の記事に続いて、今回も東京での気づき。
前回記事は下記を参照くだされ。
私は大体いつもギリギリで予定を詰め込んでいく癖がありまして(しかも結構ハードスケジュールになる傾向あり)、今回の東京行きででも一週間前くらいにばばばーっと行きたい場所を決めました。
その中の一つ、六本木ヒルズで行われていたルイーズ・ブルジョワ展でした。
ルイーズ・ブルジョワという芸術家を知っていたわけではなく、ただテーマにそそられただけ(笑)
【地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ】
って、何だか自分が死んだ後に天国で言ってそうなセリフだなと思ったのです(笑)
昨年の9月から行われていた展示会ですが、まさかこんな長期間で開催されているとは思ってもおらず。
カウンセラーの仲間内でも比較的話題に上がっていた展示会でしたし、ちょうど千秋楽を迎えるという時期でしたので「これは行けってことだな!」ってことで隙間時間をぬっていくことに決めました。
私は元々美術館や写真展に行くのは好きで、面白そうなのを見つけると休みの日にぷらっと一人で行っています。
私が展示会テーマに惹かれた理由も納得なほど、ルイーズ・ブルジョワの生涯も苦労の絶えない環境だったようで機能不全家族と言ったらそれまでなのですが、彼女は幼少の頃から孤独感や不安感を抱える日々を送ってきたようでした。
そこから成人して結婚して自分の家族ができて、三人の息子の母となり、妻・母・両親の娘でもある自分との葛藤を作品へエネルギーを注ぐことで表現し、自分と向き合うことで感情の昇華を行ってきたようでした。
展示会では、第1章から第3章?ほどで構成されており、彼女の初期の作品から晩年に至るまでの歴史に沿って作品が展示されていました。
会場へ入って早々、「そうくるか」と思わざるを得ないほどのなんともいえない重たいテーマで始まっていました。私はその重すぎる空気感に、呆然と立ち尽くしてしまいました。
「私を見捨てないで」
入り口にいきなり第一章のテーマが掲げられていたのですが・・・
まだ作品としては何も始まっていないのに、お・・・重い、苦しい。でも謎の共感と「分かるわぁ」という思い。
初期の作品たちは、ブルジョワが幼少時代の家庭環境で感じていた不安感や孤独感や、この世に生まれた瞬間に感じたであろう母から分離する痛みのようなものが表現されていました。

痛々しいというか、なにかグッとくるものがあり、時折その苦しみと憎しみにじわっと涙が出そうにもなりました。
母に対して母性的な安心感を求めながらもそれが手に入らないという葛藤の数々。
私たちはみんな母親のお腹の中で10ヶ月ほどを過ごし、その母体の中は絶対的な安心感が漂い守られていました。
何もしなくても食べ物が与えられ、酸素も血液も供給され、温かい水と分厚い毛布のような皮膚で常に守られています。
その絶対的な安心感を私たちは生まれた後も無意識に覚えているんですよね。
*
実は昨年、私は不安感が強まった時期がありました。その時に初めて母体回忌欲求のようなものを感じている時期がありました。
もう何もしたくない。
何も頑張りたくない。
目の前に起こっている全ての物事がいや。
これだけやてんのに何も変わらない。
同じ苦しみの繰り返し。
こんなことなら母のお腹に帰りたい。
大の大人が母のお腹に帰りたいだなんて笑えるんですけど、ふと出てきた言葉だったんですよね。これは私の中の究極の依存心だったように感じます。
しかも、やっぱりカウンセラーとしてその依存心は無視できないわけですよ。
そこで私は、母体回忌欲求を少しでも満たそうと試みたんです。
母体の中って真っ暗闇の羊水の中にいるわけでしょ?なので、浴槽にお湯を張り、真っ暗闇の中でお風呂に浸かってみたんです。
本当に真っ暗で音もなく、入る前は少し気味が悪かったのですが、思った以上に安心感を感じられました。
真っ暗闇であることによる怖れはそこまで感じませんでした。
光もなく音もなく、温かいお湯に浸かっている状態が心地いい。
どれくらいの湯船に浸かっていたでしょうか。
覚えてませんけど、比較的すぐに「ココ狭いし、なんかつまんねぇな」と感じたんです(笑)
母体の中は安心感に包まれているのだけど、狭いし暗いし思ったよりもつまらんかった。
ってことは、安心だけって意外とつまらん世界なのかも?と気づいた瞬間でもありました(笑)
*
話は戻りまして、ブルジョワも生まれた環境がたまたま不安定な家庭環境であったことにかなりの葛藤を覚えていたのだろうということが作品から伝わってきました。
なんで私はこんな所へ生まれてしまったのだろう。
そんな答えのない自問自答のようなものも感じました。
破壊したいけど死ぬこともできない、不安、孤独、見捨てられる不安、お母さんが恋しい。

<お腹に卵を抱えた母グモが卵を守るために周囲を威嚇する姿>
母性は安心感の象徴ではあるものの、大切なものを守るために他者から見れば攻撃性を持つものとして表現されるみたいな二面性を持った作品が多く、なるほどなぁと唸る作品ばかり。
とても感慨深かったです。
ブルジョワの作品には男女関係(カップル)を表現したものも多くありました。
パートナーシップは侵食される恐れも抱くし失う恐れも抱くのだけど、二者が交わることで様々な感情を味わう不安定さを落ち着かせているみたいな作品。

近づくと侵食される恐れ、わかるわぁ(親密感の怖れ?笑)
全てのものには必ず相反するものが存在していて、そこでバランスをとっているし、どの視点でどの角度で見るかで、全く違うもののように見える。
そんなことを教えてくれているようでした。
他にも陰部に釘が刺さっているようにしか見えない作品や、男性のアレにしか見えない作品、男女がイチャコラしているようにしか見えない作品など、その時その時感じた思いをそのまま素直に表現されていました。
作品も素晴らしかったのですが、彼女が描いた詩の方が私は好きで、的確な日本語に訳した人もすごい。
あとは母として息子たちに対する愛情をめいいっぱい注いでいる思いを表した作品や息子の出産が予定よりも遅れたことについて、このことが息子にとってどれだけの成長の遅れやこの世で生きていく不安を招いたかなどなど、母として愛情を注ぐ一方で心配や悲観している内容の作品など、母親として子どもたちへの愛を表現している作品も沢山ありました。
そんな作品を見ながら、そういえば私も予定日より10日ほど遅れて産まれたなとか、それによって細木和子の六星占術の星人が変わったなとか(話が飛びすぎw)、色々感じるものがありました。
今回の作品で感じたことは、みんな同じなんだという安心感。もっと絶望を感じるのかと思いきやこれは私にとっては意外なものでした。
みんな生まれる時は分離の痛みを味わう、産み落とされた後の孤独を感じる、不安を感じる、女として妻として母として父母の娘としての葛藤を感じる。
それは女だからとか男だからとか性別的なもので別れるのではなく、一人の人間の中に男性も女性もいて、誰もが傷つきやすい心を持っている
そんなことを改めて教わったような展示会でした。
だからこそ、そのままの私でオールオッケー。
こうやって自分の心の中の葛藤を作品で表現する事によって、ブルジョワは自分自身と向き合いあらゆる欲求や満たされない依存心を昇華していったのかなと感じました。
そのままの姿を素直に表現し与えることで昇華する。
その生き様は、私たちカウンセラーと似ているのかもしれません。

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