前回記事で鬼のカウンセラーにバチくそに斬られた話を書きました。
今回はその相方でもあります、裏の鬼こと天の声さんからトドメを刺された話です。
*
ゆか姐(天の声)さんは同じカウンセラー養成講座の先輩カウンセラーで、関西在住仲間です。
とはいえ、そんなにキャピキャピと触れ合ったことはなく、忘れた頃にたまーにメッセージのやり取りをする程度。ほんとに忘れた頃に。
お互いドライなところがあり、たぶんですけどなんとなく感性が似ていると思っています。好きなものが似てる。あくまでも個人的にそう感じているだけです。(距離遠いな〜笑)
最後にお会いしたのは数年前。確か何かの飲み会の時だったかな…?いやもっと最近か?

<手前がゆか姐さん>
鬼にバチくそに斬られた後、「癒着」についてゆか姐さんに質問しなければならないことがありました。
「癒着を切らなければ、はるかは前に進めない仕組みになってる。癒着の切り方をゆか姐に聞いておいで」
癒着?誰との?
はて?
鬼にバッサリ斬られた傷跡も生々しいままで頭が通常よりは働かなくなっていた私でしたが、「息がある限り任務だけはしっかりやり遂げなければ!」と思い、ゆか姐さんにメッセージを送りました。
これまでの私の経験上、自分が癒着体質であることは認識していました。
特に自分がしんどくなってから相手と癒着してることに気づくパターンが多かったので、自己認識がないままでゆか姐さんに話を聞きに行ったような感じで・・・
ワケ分かってないままワケが分からないことを人に伝えることがどんなに難しく、どんなに無責任であることか(笑)
とりあえず釣ってきたから
捌いてくれぃ!
とでも言うような、どこの何の魚かも分からない、どの部位をどんな風にして食べたいのかも伝えずに、裁くことだけを伝えた感覚でした。
正直、自分でも何をやっているのか理解すらできてなかった(笑)
というか、もう色々考えても無駄な境地に陥っていました。
そんな無茶振りな注文だったのだけど、ゆか姐さん曰くその日はいつもよりも愛と繋がっていたようで。(これが幸と出るか不幸と出るかは後に判明することとなる)
「その魚捌いてやっから、どんな風に食べたいのか教えろ」
そんな感じで、華麗なる包丁さばきを披露し始めました。
そこまで難しくないであろう質問に淡々と答える形で切り込みを入れてもらっていたら、とんでもない内臓が飛び出てきました。
それは
①はるかちゃんは自作自演ばかりして、自分を変える気がない
②癒着を切りたいと言いつつ切りたくないと思ってる→癒着を切る切らない以前の問題だろ
③自分一人で立つ気がない→癒着してる方が人のせいにできるので楽だし、「癒着がー」って言ってりゃ許してくれる仲間を集めてその場所におるだけ。いつまでそれやる気なの?
④自分の感情、心の声を全く聞こうとしてきてない→感情をほぼ切ってる
といった内容でした。
「そんな状態で癒着を切ったとて、寂しくなってまた誰かと癒着して、近づきすぎてやだーって拒絶して、その繰り返しをしてるだけやろ。」
「感情はおろか、感覚すら掴めてない」
「はるかちゃんから出てくる言葉が軽い」
「知識で話してるだけ」
「人から言われたことも自分に確認してないし精査してない、自分に聞いてないやろ」
「トイレ行って水流しただけでうんこした気になってる」
「ウォシュレットの使い方聞きにきてるけど、そもそもうんこしてないやろ」
「あんたはそもそもうんこしてないで?」
(こんな口調ではないけどそんな感じ)(語尾全てに笑顔の顔文字付いてると思って聞いてた)
総じてゆか姐さんに言われたことは、
「私はこうしたい!の部分がこっちに何も聞こえてこないんだよね」
「そこに〝はるか〟はいない。」
え?
わたし、どこ行ったん?
正直何が起こったか分からない領域。
話の途中からは癒着なんかどうでも良くなっていました(笑)
わたしが何も言っても、何を発してもそこに〝はるか〟がいないなら意味がない。
自分と繋がれてないなら、私がやる意味がない。
私が一方的に私と繋がれてると思っていても、わたし自身が拒否しているなら意味がない。
わたしは私と繋がっていると思っていたけど、実は全く繋がっていない。
自分と繋がるとは・・・どういう感覚なん?
どういう感覚がしたら自分と繋がってるって言えるん?
全てがわからなくなった瞬間でした。
いや、もっと前からわからなかったのかも。
分かったつもりでいただけかも。
私が自分の本音と思っていたものは全部嘘だったのかも。
自分の本音と思って行動に移してきたものは全部無駄だった。
一番応えたのは、自分一人で立つ気がないという言葉
今まで自分一人で立てるようにもがいてきたつもりやったけど、自分一人で立てるように時間もエネルギーも投資してきたつもりやったけど、周りから見たらむしろ逆で、自分一人で立とうともしてない自分どーゆーこと?
もっともっともっとしんどいことやらなきゃならんのだな。
まだまだ私は与え足りないんだな。
自分一人で立つには今まで以上にしんどいことをやらねばならんのだな。
自分の感情もないなら何信じたら良いのかもわからんし、全部うそにしか見えんくなったわ。
これはもう死んだ方がマシでは?
息してる意味がないわ。
そんな感じで、わたしが今まで取り組んできたことや投資してきた時間やお金やエネルギーがぜーーーーーんぶ崩壊した瞬間でした。
やっているようで何もやってなかったんやわ。
何も積み上げれてない、行動ばかりして何も積み上がってない、何も意味がなかった。
わたしは生きてなかった。
結構しんどかったはずなのに、それでも何も感じれてないってどーゆーこと?
過去のたんまり溜まったものを吐き出してきたつもりだったけど、それも上部だけだった?!
自分が経験してきたことを自分なりに発信してきたけど、中身が何もないなら言わない方が良かったんじゃないか?
何もしない方が良かったんじゃないか?
封印した方が良かったんじゃないか?
もっとしんどいことを感じる必要があるってこと?
もっと酷い地獄を見なきゃならないのか?
やっと昔よりもマシになってきていたはずなのに、それすらも偽りの感情だったのか?
ただのまやかし?
何が真実なん?
カウンセラーとして生きていくには、ヘドロのような臭い底なし沼でドロドロの泥水を飲み続けて生きるしかないのだろうか。
私は死に悶えながら臭い泥水を飲みたいわけではない。
でもそこまでしないといけないと皆が言う(そうは言ってないやろ)
カウンセラーとはそんな世界なのか?
そんな苦しいことをしないとこの世界にはいられないのだろうか?
そこまでして私はカウンセラーをやりたいのか?
ここはそういう苦しい生き方しか選択肢がない世界なのか?
私が信じてきたものって何やったん?
もう何も信じられんわ。
*
ここでお気づきの方もいらっしゃると思いますが、わたしにとって感情を感じるということがいかにエゴまみれの声であるかがお分かりいただけたでしょうか(笑)
一気にエゴが襲ってきて、その日からわたしは笑えなくなってしまっていました。
エゴは笑わないって言うけど、そーゆー意味なんだな。
笑わせてくれない。
「それだけ無意識に感情を切ってきたってことは、それが必要だったってことよ」
と、ゆか姐さんに言われ、涙腺が崩壊した。
あぁそうなのか。そうだったのか。
感じるのがしんどいくらい辛かった
悲しかった
情けなかった
助けたかった
やるせなかった
分かってほしかった
消えてしまいたかった
感情を感じることがしんどすぎて、「こんなもの無くなってしまえばいいのに!」と思っていた時代を思い出しました。
それを感じるのがしんどかったから感情そのものを切ってしまった私がいて、自分と本音で繋がるにはその痛みや傷ともう一度繋がる必要があって、それには勇気も覚悟も必要で。
*
それからは若干の鬱傾向に振り切ってしまったようでして、私の醸し出す様子もおかしくなっていたのか周りからも「病院に行った方がいい。休んだ方が良い」と言われるくらい一時的に憔悴しきっていました。
何かを喋り始めると泣くみたいな感じ。
そういえば、まだカウンセリングというものを知らなかった時代の私は、自分が思っていることを話そうとすると涙が出てきて止まらなくなるような状態だったなぁ。。。ってのも思い出しました。(忘れてたわ)
おそらくこの感情、この感覚、この絶望感を感じたくなくて今まで感情を切った状態で過ごしていたのだろうと思います。
それでも出てきたならば感じるしかないわけで・・・
お腹も減らない、喉も渇かない、亡霊のように仕事には行くけど、仕事中でもふとした時に涙が出ては止まらなくなる、みたいな。
そんな日々を送っていました。
これは明らかにおかしい・・・
どれくらいやばいのか自分では判断ができない。
行きつけの温泉に行って一時的に気分は回復はするのだけど効果は長続きせず、すぐに元に戻る始末。
もうあかんやろ。
これはもうマジでやばい。ほんとに辞めなきゃいけない。こんな状態では続けられない。
ゆか姐さんに色々言われて腹が立ったとかムカついたとか、そういうものはあんまり感じられてなくて(ただの不感症か?)、そんなことよりも「この人は何を伝えようとしているのか?」の方が私にとっては重要で、でも一瞬で絶望に到達。
怒りを感じるにもエネルギーがいるよな・・・とも思ったり。
まだ何も結果が出てないにも関わらず燃え尽きるとはナニゴトか。
結果が出てないということは行動してないのと一緒。
何もできてない、何もやれてないのに燃え尽きてはダメだ。
燃え尽きる時は辞めるとき。
もう二度と再開しないことを誓うとき。
私にとって燃え尽きることは、その道が自分には合っていない&その道に向いていない、二度と戻ってこれないことを意味することに繋がっていました。
(今書きながら思ったけど、やり方を変えれば良いだけなのに、なんでいつもゼロ100思考なんだろう)(それよりも結果が出たら燃え尽きても良いって逆にどーゆーこと?笑)
でももう色々辞めたい。
でもカウンセラーは辞めたくない。
そこだけははっきりとしていたのだけど、それすらもエゴのような気がして「カウンセラーがやりたいのもただの執着なだけか?」と疑いも出てきていました。
死に悶えながら泥水を呑み続けなきゃいけないのなら、いっそのことこの世界から足を洗った方が楽になるのでは?
仕事も辞めてカウンセラーも辞めて、関西に出てきて創り上げた人間関係も全て捨てて地元に帰るか?
私は一人で立つこともできない、いい歳こいて一人で立つことも望んでいない依存まみれの大人になりきれない出来損ないなダメ人間でしたと認めれば良いのか?(ヤケクソ感)
私はどうしたいんだ?
そんな考えが頭をよぎりまくって、ただただ呆然とした日々を送っていました。
「とりあえず自分と仲直りしてきなよ」
そう言われた1週間後に幸か不幸かたまたまか、私はリトリートセミナーへの参加を控えていたのでした。
つづく
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