「自信がない」とは自分を信用していないのと同じくらい、周りにいる大切な人を信用していないということ【ご相談に回答しました】

ココロノマルシェ

こんにちは!

中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラー

中辻はるかです。



本日はオンラインカウンセリング「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談への回答になります。

ココロノマルシェとは…
根本裕幸カウンセラー/ココロノオフィス主催のカウンセラー養成講座「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラー達が、みなさんから寄せられたご相談を受け付けているオンラインの無料掲示板です。
たくさんのカウンセラーから回答がいただけますので、よかったらご利用くださいね^^


「自信がない」とはいわゆる自分を信用できない、信用していない状態のこと。

自分を信用していないということは、実は自分だけでなくあなたの周りにいる大切な人を信用していないということにもなります。

あなたが自分を「こんな私ではダメだ」と否定すればするほど、あなたのことを愛してくれている人、素敵だと言ってくれる人のことを全否定していることと同義なんです。(え!?まじか!)

あなたは大切な人や仲間の思いを否定する人になりたいでしょうか?それとも思いを受け取って愛する人になりたいでしょうか?

◆ご相談内容

ご相談はこちらです。

『自信のなさを克服して安心できる人間関係を築きたい』

もうすぐ40歳を迎えようとするアラフォー女性です。

自信のなさをどうにかしたいです。
「こんなメリットもない自分と付き合っているのはおかしい」「いつか周りに見捨てられてしまうのではないか」と不安になってしまうパターンをやめたいです。

典型的な長女気質で、学歴では優等生ルートを歩んできましたが、社会にはうまく適応できず、発達障害、退職や離婚と、仕事でもプライベートでも自信を持てないことが続いています。
カウンセリングにも通い、おそらく過干渉気味だった母親との関係性が影響しているのだろうなということは分かったのですが、改善はしきれていません。(ただ、数年前に母が他界してからは、少しずつではありますが自分の軸で人生を歩み始められるようになってきた感覚はあります。)

いま交際している彼は、私にはすごく愛情を行動で示してくれたり気遣ってくれていますが、亡き奥様への想いがまだ強く残っているのが滲み出ており「こんな愛情深く素敵な方が私を大切にしてくれるなんて、今はまだ悲しみの底にいるから私のことが数倍良く見えているだけかも」と思ってしまいます。

友人関係においても同様です。昨年、自分が深く沈んでいた時にも、20年来の友人たちが根気よく付き合ってくれました。でもそれは私の昔の良いイメージと彼女らの優しさゆえで、こんなどうしようもない自分が知られてしまって、呆れているんじゃないか、今後はどんどん関係が先細りになっていくだろうなと悪い方に想像してしまいます。

唯一、前の旦那さんとは自分のダメな部分も含めてリラックスした関係を築いていましたが、次第にお母さんと息子のような関係になってしまいました。レスや生活感覚の違いにも耐えきれず離婚を切り出したらあっさり了承されてしまい、自分の存在価値が無かったのだと落ち込みました。


本当は自分が何か与えられる存在でありたいし、誰かと支え合える深い関係を築きたいのに、会いたい時に会うくらいのほうが嫌な所を見られないで長く続くのではないかというジレンマに陥ってしまいます。

何か前に進むヒントをいただけないでしょうか。
長くなりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。


(ご相談者様:しろひつじさん)

しろひつじさんこんにちは!

はるかが回答させていただきますね^^


◆回答

しろひつじさんは自信のなさをどうにか克服したいとカウンセリングに通われたり、お母様と向き合われたり、色々と行動されているようですね^^

とても素晴らしいことですね^^

その甲斐あってか自分軸で人生を歩み始められるようになってきたこと、とってもブラボーですーーー!!!!!


そこにどれだけ価値を感じれていますか?

自分にご褒美あげましたか?祝杯しましたか?



パートナーに「わたし自分軸で人生を歩み始められるようになってきたからヨシヨシしてー」って甘えたりしましたか?


「ご褒美にエルメスのバーキン買ってくれよ」ってお願いしました?



それとも「いやいや、自分軸で生きれるようになったくらいでバーキンなんて高すぎるっしょ!」って思いましたか?思ってませんよね?ね?ね?笑




値上がりしまくっているバーキンのお値段はさておき、自分軸で生きられるようになってきたってことはそれくらいすごいことなんです。



だって、今までは過干渉気味なお母様の影響を存分にあやかり、典型的な長女気質で尚且つ優等生ルートで生きてきたのでしょう?

社会でうまく適応できずに人間関係で悩んで、それでも自分なりに答えを見つけて自分の軸で人生を歩み始めれるようになってきたのでしょう?

これってなかなか簡単にはできないことだと思うんです。


なのでしっかり自分の変化を受け取って、「わたし、すげぇやん!めっちゃやる気やな!できる女やん!」と自分を褒めまくって次に進むためのエンジンとして自信に変えていただきたいところです。



典型的な長女気質であったり、周りの期待に応える優等生であったり、弱い母親を背負って父親と戦ってきた人に多い性癖(特徴)として「完璧主義」というものがあります。



おそらくしろひつじさんも完璧主義の性癖をお持ちではなかろうか?と私は推測しているのですが、それはご相談文中からでも傾向が伺えるかと思います。

>カウンセリングにも通い、おそらく過干渉気味だった母親との関係性が影響しているのだろうなということは分かったのですが、改善はしきれていません。


カウンセリングに通われてから「お母様との関係が影響を受けているかもな」と気づかれたとのことですが本当に良かったです。


この「気づく」という点がとても重要でして、気づくことさえできれば私たちはそこに意識を向けることができるようになるので、問題と捉えていることのほとんどは解決したも同然と言われています。



ですが、完璧主義な方は気づくだけでは物足りず「それが原因ならば完璧に成敗してしまわねば!」と鼻息荒くなってしまいます。(それも全然良いことです)



そもそも親子関係というものは私たちが思っている以上にとても根深いものでして、人間関係を構築していく上での基礎基本であり土台となっています。



人間関係において親子関係から影響を受けている度合いは人それぞれ違いますが、基本的には誰もが影響を受けているものになります。


なので、「100%改善し切る!!」というのはほぼ不可能だと思っています(笑)

というか、100%改善しようとは思わない方が良いでしょう。



これは私の経験上の話にもなりますが、「親との関係が改善した!よっしゃ!」と思っても、何かの折に「うわ!まだ親の影響残ってた!」ということは何度も訪れますし、こんなにも親の影響を受けている自分にうんざりしてしまうということも少なくありません。(遠い目)




それは自分がこんなにも親を愛してきた、親のために頑張ってきた、親の期待に応えようとしてきた、なんとか親を幸せにしたい!ともがいてきたということに他ならないのです。



しろひつじさんが何をもって改善したと感じるのかは分かりませんが、必ずそのご両親を選んで生まれてきたという恩恵がありますので、「過干渉気味だったお母様を選んで生まれてきたからこその恩恵」に目を向けていただきたいなと思います。


ここからはしろひつじさんが完璧主義だということを前提に話を進めていくのですが・・・
(本題はここからだ!笑)

>いま交際している彼は、私にはすごく愛情を行動で示してくれたり気遣ってくれていますが、亡き奥様への想いがまだ強く残っているのが滲み出ており「こんな愛情深く素敵な方が私を大切にしてくれるなんて、今はまだ悲しみの底にいるから私のことが数倍良く見えているだけかも」と思ってしまいます。

>昨年、自分が深く沈んでいた時にも、20年来の友人たちが根気よく付き合ってくれました。でもそれは私の昔の良いイメージと彼女らの優しさゆえで、こんなどうしようもない自分が知られてしまって、呆れているんじゃないか、今後はどんどん関係が先細りになっていくだろうなと悪い方に想像してしまいます。



なぜ悪い方に想像してしまうのでしょうか?

その妄想癖はいつ頃から持ち始めたものでしょうか?

悪い方に想像することで何を回避しているのでしょうか?



この辺をしろひつじさんに質問してみたいなと思いました。



それともパートナーから「今はまだ悲しみの底にいるからお前のことが数倍良く見えてるだけだけど、時間が経ったら愛情薄れるからね。だって元奥さんの方が好きだから」って言われましたか?


20年来の友人から「昔のあなたは良いイメージだったから優しく寄り添ってたけど、今回の件でほんとうんざりして呆れたから、これからはどんどん関係性を先細りしてくね」って言われたのでしょうか?




そんな風には言われていないよとのことでしたら、

誰にも言われてないし頼まれてもいないようなことを、自分が勝手に妄想し悲劇を想像しているということをまずは肯定していきましょう。



その悲劇を妄想してしまうことをダメ!絶対!とするのではなく、何かを悪い方に想像したとしても


「あ、また性癖出ちゃってる。私ったらヤダー(照)」

って言えちゃうくらいのレベルで捉えられるようにしましょう^^


まずはここからがスタートかなと思います。



おそらくこの妄想癖は、お母様との関係が影響を及ぼしているのかな?と感じますがいかがでしょうか。






「優等生の心理」と呼ばれるものがあります。

誰かの期待に応えるために完璧を目指し、完璧になることで誰かを幸せにしようとしますし、完璧じゃないと勝てない!と思っています。


そこに面白みや楽しさを感じられているうちは良いのですが、その完璧主義がこだわりではなく執着になってしまうと自分を苦しめるものになってしまいます。



どうして苦しくなってしまうのかというと「愛されるために完璧を目指す」という視点が他人軸になっているからです。



完璧でなければ愛されない、完璧ではない私は誰かを喜ばすことはできない、完璧でない私は捨てられる、あれもできない、これもできない、ないないない!!!



そうやって常に誰かに愛されるために自分に完璧さを求めてダメ出しをしているので、自分の心の中に安心感はなく、常に不安や怖れを感じています。


その心の中の不安感が周りの人間関係にも影響し、愛されていても不安、誰かに寄り添ってもらっても不安、誰かに褒められたとしても「いやいや、私の本性を知らないだけよ。本当の私はダメな奴なんだから」ということになります。




それは時に、完璧であること自体が強迫観念につながっているとも言えるかもしれません。



どんなに成果を上げて自分の望む結果が出たとしても、デフォルトの自分のイメージが「私は完璧ではないから、ダメなやつだから」というイメージのままなので、良い変化が現れても気づかないし受け取れません。




まずはその「完璧ではない自分は愛されない」というのは思い込みですから、その観念を外していきたいですよね。



自己否定や自己嫌悪にも通じる「自信のなさ」というものは底なし沼のようになっておりまして、自信のなさにフォーカスを当てれば当てるほどどんどん沼にハマり、タダでは出てこれなくなってしまう性質を持っています。



これは慣れというか癖なので、自ら自信のなさを証明するための証拠をどんどん探し当てますし、思考を使って炙り出しますし、周りの人にどれだけ褒められても愛の言動を示されても「いやそんなはずはない!」「上には上がいますから、私なんて大したことないっす」と相手の思いまで打ち消してしまうんです。



なので、ある意味で自信がないことについては自信満々ってことにもなるんです。



え?痛いとこ突かれた?笑



この思い込みを変えていくには最初は少し頑張りが必要で、過去の自分と今の自分を比べて、前の自分はできなかったけど今の私はこれができるようになったことや自分の幸せのために行動してきたことなど、できるようになったことを一つ一つ振り返る必要があります。



〝自信〟というものが何で作られているか?自分を信じる力の正体とはなんなのか?という点についてですが、

人によっては誰かに認められたり褒められた経験が自信になる人もいます。


着ている服を褒められた、見た目を褒められた、筆跡を褒められた、文章を褒められた、成績を認められたetc

しかし、時代の背景にも左右されないような自分の中から湧き上がる確固たる自信というのは、私が思うに自分が行動してきた数や経験の数だと思っています。




しろひつじさんも昔の自分と比べた時、必ず何か成長しているはずですし変化しているはずです。

特にカウンセリングに通っていたなら尚更変化しているし成長しているでしょう。



どんなことを乗り越えてきたか、経験してきたのか、どんなことにエネルギーを注いできたか、お金を使ってきたか、何を頑張ってきたか。


「喉元過ぎればなんとやら」でしょうが、それでも一つずつ見つけてみましょう。



最初は時間がかかるかもしれませんし、「こんなこと大したことない」とか「あれは私の実力じゃなくて、◯◯さんがそうしてくれたから」という言い訳がわんさか出てくると思いますが、そういった人脈があることもタイミングが掴めたことも全てしろひつじさんの才能であり魅力であり価値なんです。


「誰かに愛されるためには完璧でなければならない」という条件を求めすぎると、完璧ではない自分を見つけてはその部分を否定し嫌悪することにつながってしまいます。


この自己否定や自己嫌悪の何が一番悲劇なのかというと、自分の周りにいる大切な人達からの愛情をも否定してしまうことなんです。

自分の中に潜む不安や傷つきたくない怖ればかりに意識を向けすぎていると、周りの人から自分に向けられた愛情に気づくことができませんし、それが愛情だとは思えませんし分かりません。



それってとっても悲劇だと思いません?


あなたの周りにいる大切な人がどんなに「あなたは素晴らしいよ」「とても魅力的だよ」「才能豊かだよ」と言ってくれても、あなた自身が自分を否定し嫌悪している限り、あなたのことを素晴らしいと言ってくれて大切な人の愛を否定していることになるんですから。


ちなみに、しろひつじさんはご自身を否定し嫌悪し「私は自信がない」としておくことで、どんなメリットを感じていらっしゃいますか?


例えばになりますが、

自信がないことであらかじめ傷つかないための保険をかけているような状態なので、予想以上に傷つかないで済みます。

自信がないので怖いと感じることに挑戦せずに済みます。

挑戦しないということは失敗もしないということにもなります。

失敗した時に感じる恥ずかしさや惨めさを感じずに済みます。




しかし、そのメリットと引き換えに重大な悲劇を生み出してしまっていることにどれくらい気づいていらっしゃるでしょうか?



少々怖い言い方になってしまいましたが、そんなつもりがなかったにせよ自分の価値を受け取っていないってそういうことだと思うんですよね。


>レスや生活感覚の違いにも耐えきれず離婚を切り出したらあっさり了承されてしまい、自分の存在価値が無かったのだと落ち込みました。


とありますが、

しろひつじさんの中では「相手にとって自分の存在価値があれば、離婚は了承しないだろう」という視点が愛情だと思っているということですよね?



でも愛情って人それぞれ表現の仕方が違うんです。


しろひつじさんのように「私のことを愛しているならば、私が何を言っても離婚したくないと引き止めるはずだ」と思っている人もいれば、「自分の思いよりも、愛している人の願いを叶えてあげることが愛情だ」とする人もいるんです。


何が愛情なのか?何が愛情ではないのか?の正解・不正解はありません。



自分が「これは愛だと感じる」「これは愛ではない」と判断しているだけで、この感覚は育ってきた環境で人それぞれ違います。




>本当は自分が何か与えられる存在でありたいし、誰かと支え合える深い関係を築きたい、


とおっしゃっているように、しろひつじさんが本当に上記のような姿や人間関係を目標としているならば、しんどい時に寄り添ってくれた友人やパートナーが愛してくれているように、自分自身にダメ出しばかりするのではなく寄り添っていくことから始めていきましょう。

◆まとめ


〝人は長所で愛して、短所で愛される〟という言葉があります。



自分が「こんな自分ダメだな」と感じてしまうところは、周りの人が力になってあげられる場所です。

要は、愛されポイントなんです。

人ってそうやって凹凸を埋め合い、助け合って生きていくもの。

完璧を目指すこと自体は悪いことではありません。

それがこだわりならば良いのです。

でも誰かに愛されるために自分の個性を抑圧し、苦しくなるまで自分を否定し続け完璧さに執着することはお勧めしません。


人は不完全さがあるからこそ、生身の人間として魅力的に映り影響力を与えていきます。

長所と短所の差がGAPになり、そのGAPが誰かを勇気づけたり魅了したり安心感を与えたり楽しませていくような要素になっていきます。

今回は前の旦那さんとの関係には触れていませんが、リラックスした関係では母と息子のように男と女の関係ではなくなったことも人間関係を構築していく上で一つの怖れにつながっているのかもしれません。

そこは詳しく聞いてみないとわかりませんが、お母様との関係からでもご友人との関係からでも、いろんな方向から自信のなさを克服するためのアプローチができますので、よかったらカウンセリングにお申し込みくださいね。


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回答は以上になります^^

この回答に関して質問やご感想などありましたら、遠慮なくいつでもお問い合わせくださいね

自分の中にある怖ればかりに目を向けず、自分に注がれた愛に目を向けていきましょう。

それが自分の心の中での安心感につながりますし、大切な人に安心感を与えられる存在になる秘訣です。

いつでもしろひつじさんのことを応援しています(^ ^)!

中洲生まれ北新地育ちの心理カウンセラー

中辻はるかでした!

◾️中辻はるかのプロフィールです


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