弱い母を嫌って三千里(前編)

家族の話
2022.11

こんにちは!

心理カウンセラーのはるかです^^

 

今日は、GW前後に起こった私の母との関係の変化について書いていきたいと思います。

 

 

私はカウンセラーとしてカウンセリングを提供していますが、自分の心のメンテナンスは信頼できるカウンセラーにお願いしています。

 

 

整骨院の先生が自分の体のメンテナンスのために整骨院へ行くように、カウンセラーだって心のメンテナンスがてらカウンセリングを受けています。

 

医者だって自分の体にメスを入れて手術することはできませんもんね。

それと一緒だと思ってください^^

 

 

話が少し逸れましたが、そんなメンテナンス中についにラスボスオカンと向き合う瞬間が訪れました。

 

 

**

 

私は長らく母のことを弱い人、可哀想な人だと思って生きてきました。

そして女は損であると感じながら育ってきました。

 

 

プロフィールでも少しご紹介していますが、私は幼少時代、九州の男尊女卑の名残ある家系で育ってきました。

 

 

例えば、盆や正月の親戚の集まりでは必ず男性が上座、女性が下座でしたし、男性はいつまでもダラダラお酒を飲むだけで料理の準備や手伝いは一切しない。手伝いをしようともしない。

 

 

家の中でも父だけ豪華な料理があしらわれていたり、お風呂も女性陣が一番に入ると父に怒られていました。

 

 

ちょっと強めの博多弁を使うと「もっと女の子らしい言葉を使え」と注意を受けたり、親戚で男の子が生まれると「跡取りができた!」と喜びの嵐(かと言って、徳川家の末裔でもなければ父方の祖父は8番目の末っ子なので特に何も継ぐものは無い)。

 

 

お手洗いに行けば便座も上がりっぱなしで、それを見た時は「ここは男中心の世界なんだな」と感じたことは今でも覚えています。

 

なので、親戚の集まりというものは大嫌いでした。

 

 

そんなに嫌なら集まり行かなきゃいいじゃん!と思うでしょ?

 

 

いやいや、行くのが当たり前なんです。

毎年恒例。

 

「行く一択」しか選択肢はなかったんです。

 

 

そんな環境で、さらに「女は損だ」のイメージを助長させたのが母の弱さでした。

 

 

母の生い立ちや弟優先で育ってきた幼少時代の家庭環境、結婚してからはいつも父のモラハラに耐えつつ父の愚痴を言っては、お金がないからあれができないこれができないといつも嘆いていたからです。

 

 

どうみても一番近しい大人の女性の象徴である母は幸せそうではなかった。

 

 

いつも不満不安心配症で、いつも父と喧嘩をしていました。

父に対してあれしてくれないこれしてくれないと愚痴を言っては、お金がないからあれができないこれができない、生活費が減らされる云々カンヌン、、、

 

それでも離婚せず父からの精神的なモラハラに耐える日々。

 

そんな母は「女は損よ」が口癖でした。

 

 

「ほんと、女って損よね〜」

 

 

女が損であるかどうかは分からないけれど、自分たちより先を生きている大人の女性である母が「女は損だ」と言っている。

 

それが間違っているのか正しいのか判断するには私はまだ幼くて、漠然と「母がそう言っているなら、そうなのかもな」と感じたことを今でも覚えています。

 

 

一番身近な大人の女性の象徴である母は、確かに私から見ても幸せそうには見えなかった。

けれど、いつかは私も含めみんな、体も心も成長し大人になる。

 

 

大人になればいつも何かを我慢し、犠牲しなければ生きていけないんだな。

特に「女」はそうなんだな。

 

いつの間にかそんな思いが叩き込まれていました。

 

 

社会で生きていくためには、女は我慢しなければ生きられないんだろうな。

女は何かを犠牲しないと生きていけないんだろうな。

 

 

いつ頃からか、わたしは母が喜ぶために何かを我慢し始めました。

 

 

いつも弱くて可哀想な母の役に立つために、我慢をするぞ!!

 

幼い私が考えついた母が喜ぶことは、「少しでもお金がかかるようなことは避ける」でした。

そうすれば母は喜ぶ。

 

 

・お菓子食べたいけど「いらない」

・出先で喉が渇いてジュースが飲みたいけど「いらない」

・久々に外食に行こうもんなら「家で食べたい」

・あんなおもちゃ欲しい、こんなおもちゃで遊びたい、でもいつか要らなくなるだろうから「いらない」

 

 

「お金がない」と母が言っているから、お金がかかることはやめよう。

 

 

 

そう決めたら、いつの間にか欲しいものは思い浮かばなくなりました。

 

 

「欲しいものがないなんて、修行僧みたいだね〜」と母に言われたこともありました(笑)

 

 

 

お洋服だってユニクロで十分でした。

友人が可愛い服を着ていても、私はユニクロで良かった。

(ユニクロが可愛くないと言っているわけではないけど、今と比べて単調な服の色しかなくて、デザイン性のある服が好きな私からは可愛いとは言えなかった笑)

 

 

 

欲しいものがあっても、値段で物を選ぶようになりました。

食べたいものがあっても、値段で決める癖がつきました。

本当はこれが良いけど、こっちが安いからこっちを買おう!

 

 

でも高校受験のとき、初めて大きな意思決定、意思表示をしました。

 

この高校に行きたい!

 

その高校は私の成績レベルより少し上の高校でしたが、行きたい高校であり、自分の高校生活がイメージできる高校であり、部活も楽しめて毎日が楽しいだろうなと感じる高校を選びました。

 

 

その時に、初めて親に「何としてでもここがいい!ここいきたい!」と伝えました。

 

もちろん父は猛反対。

何度も何度も来る日も来る日も父と話し合い、父を納得させる戦略を立て交渉をし、最終的には父が折れる形で行きたい高校への受験の了承を得ることができました。

(ほぼ、強行突破)

 

 

しかし私は公立受験に失敗した。

私立高校へ行くことになったのです。

 

 

地域柄だと思いますが、「公立高校へ行くことが親孝行だ」と言われていました。

 

 

親戚の集まりでもなんとなくその空気感は漂っていました。

 

 

「公立高校に落ちたことは恥ずかしいことなんだ、情けないことなんだ」

 

 

ただでさえ「うちにはお金がない」と言われていたはずなのに私は受験に失敗し、父や母に公立高校よりも高い学費を払ってもらうことになってしまいました。

 

 

受験に落ちた夜、父からはすごい形相で怒鳴られました。

 

 

「お前があの時受かるって言うたけん、ランク上の高校を受けること承諾したんやぞ!何点で落ちたんか受験校に電話して確認してこい!!!」

 

その怒った形相にびっくりして、私はとんでもない失敗をしでかしたんだと悔し泣きしました。

 

やっぱりわたしは自分のやりたいことは許してもらえない。

 

わたしのやりたいことは誰かを不幸にさせるんだな。

 

やりたい事をやるためには、強くならなきゃいけない。

 

やっぱり稼ぎがある男性が強いんだ。

 

稼げない人は弱いし、女の立場も弱い。

 

お金がないと自分のやりたいことも許してもらえず、「女は勉強する必要がない」「どうせ就職してもすぐ嫁に行かないといけないんだから」と言われる始末。

 

 

女だからやりたいことやっちゃダメなの?

女だから否定されるのか?

 

 

だったら社会に出ても男に負けないように資格を沢山とって、自立して稼げる女性になってやるわよ。

 

男なんてこの世から消えろ!○ね!

 

〈男なんてね!の図〉

 

 

男にも親にも誰にも頼らず甘えず依存せず、生きていける大人になるんだ!

高校に入学してからは、それが勉強の原動力になっていきました。

 

 

そしてこれまで以上に母の弱さを嫌いました。

 

 

女は大人になるにつれて愛されなくなっていくんだ。

ならば大人にはなりたくない。

 

 

でも今いる環境も苦しい。

父に頼らねば生きていけないこの環境も苦しい。

早く大人になって自由になりたい!

この家を出たい!

 

 

そんな矛盾した思いをずっと抱えていました。

 

 

私にも母のような人生になるかもしれないDNAが組み込まれている。

 

 

それはなんとしてでも避けなければ!

「女が損だ」がデフォルトなら、もっと頑張らなきゃ。

足りないものを補うために人よりできることを増やさなくちゃ、頑張らなきゃ。

 

誰にも頼らなくても生きていけるように。

 

 

そんな気持ちを抱いたまま、あれよあれよと社会人になりました。

 

母のような生き方にはなるまい

自立して稼ぐ

誰にも頼らない

だってわたしは大人だから

 

 

そして、稼ぐことが母を喜ばせることにつながるんだ!

そうすれば母も自由になれる!

(女の弱さを嫌って自立したはずなのに、弱い母のための自由の獲得が目標になっていることがツボ笑)

 

 

しかし、バリバリ働こうと思えば思うほど体調を崩しました。

 

 

その度に自分の根性や体力のなさ、要領の悪さを嘆き、これでもかと自分を責めました。

 

 

なんて自分は能力のない人間なんだ!

 

こんなにできないことだらけで、私はどこか頭の病気なんじゃないか?と思うこともありました。

 

「こんなにできないことだらけで、なにか欠陥があるに違いない」

 

 

そうやって自分を全否定していました。

 

 

「母親のような弱い人の生き方はしたくない。」と頑張れば頑張るほど、体調を崩し、

 

ついには眠れなくなりました。

月ものが来なくなり、薬も効かなくなりました。

 

 

看護師の友達に「ナメてたらマジで痛い目合うよ!」と脅され、このままじゃ死ぬと思って会社を辞めました。

 

すると、薬が効かなくなっていたことが嘘のように体調は一瞬で回復。

 

 

 

 

もちろん仕事だけでなく、恋愛も全く上手くいきませんでした。

 

 

うまくいかないなら恋愛なんてしなきゃいいのに、これまで砂漠を歩いてきたが故に泥水でも美味しいと感じる瞬間が一瞬でもあればそれで良かったんです。(やばい笑)

 

〈水はどこ?と彷徨う図〉

 

 

男になりたかったはずなのに、一瞬でも女性としての喜びが味わえるならなんでも良かった。

 

 

でも気づけば、恋愛を通して自分を傷つけることがやめられなくなっていました。

 

 

恋愛を通して、男性を通して、社会を通して、わたしは自分を責め続け、ある種の自傷行為をしていたのです。

 

 

私は何もできない。

私には価値がない。

私は被害者。

 

それくらい、もう自分では背負いきれなくなっていました。

 

 

 

しかし私は運よく某カウンセラーの餌に釣られてしまい、心理学やカウンセリングに出会い生き延びることになりました。

そして、少しずつ自分を取り戻せるようになっていきました。

 

 

〈某カウンセラーの図〉

 

 

自分が自分を受け入れていくと、自分をそのまま受け入れてくれる環境や、必要な時に必要な出会いと巡り合うようになって行きました。

 

 

 

そして昨年、私はある起業塾で半年間のコンサルを受ける事を決めました。

 

学びのため、年齢や職業を超えて同志や仲間と出会うため、いろんな経験をしたかったんです。

変化が怖くて、メンターに泣きつきながらもその環境に飛び込みました。

 

 

泣きながらって、どんなチャレンジやねん()

 

 

それもそのはず、私の人生では清水の舞台から飛び降りるくらいの講座料だったからです(笑)

 

それくらいチャレンジしたいことでした。

 

その世界は楽しくて面白くて、たくさんの経験と色んな人に出会うことかできました。

 

人と出会う中で、私のビジョンとなりうるであろう女性にたくさん出会いました。

 

 

結婚して子供を育てながらもバリバリ働いている女性。

起業して忙しいはずだけど楽しそうに働いている女性。

 

女性としても妻としても母としても自立し、旦那さんや子供にも愛されている人。

 

しかし、そんなかっこいい女性に憧れつつ、「私の母もこんなふうに強かったのなら…」と感じるようになっていきました。

 

 

 

憧れの女性と出会うたびに、

 

やっぱり私の母が弱かっただけやったんや

父や世の中のせいにしていたけどそれが原因ではなかったんや

 

同じ時代に生きながらも自分で色々チャレンジしてやってる女性は大勢いる。

 

 

母の勇気がなかっただけ

母の意思が弱かっただけ

お金が稼げなかっただけ

そこまでの情熱がなかっただけ

弱い自分が居心地良かっただけ

 

 

そんな風にじわじわと母に怒りを感じるようになっていきました。

そして気付かぬうちに、母の弱さを嫌悪すればするほど、自分の中の弱さが認められないことに繋がっていきました。

 

 

弱さみたいなものが他人を通して垣間見えると、その人を猛烈に嫌悪しました。

 

 

 

  • 私はこうやってやってるのに、なんでできないの?何でやらないの?
  • まだやってもないのに出来ないとか不安ですとか簡単に言いやがって、女々しいこと言いやがって!
  • こんな私でもやってるのに、同じようにできないとか、分からないとか、知らないとか、そんなのおかしい!やる気がないだけだろ!頭悪いの?ちゃんと考えてやってよ!!

なんで私ばっかりやらないといけないの?

 

 

 

自分の弱さが認められないので他人の弱さが認められませんでした。

それは仕事でもパートナーに対しても無意識に感じていました。

 

これを無価値観の罪と言うらしいぞ()

 

 

 

私は自分の隠したい弱さを嫌っているのに、みんなはそのままのわたしでここにいていいと言ってくれるし応援もしてくれる。

 

「そんなはずはない!」「隠してるから見えてないだけよ!私の本性を知らないだけよ」って信じれなくて認められなくて「みんな綺麗事言ってんじゃねーよ!」と思うようになっていました。

 

 

このままの私で愛されるはずがないのだ!と思って弱さを隠すために頑張るので、弱さが見える人が頑張っていないように見えてムカついた。

 

 

 

あの人の弱さが見えるのは、あの人が頑張ってない証拠だ、怠けている証拠だ、能力がない証拠だ。

 

 

「お前のせいで私の仕事が増えるんじゃ!」

「うだうだ言ってないでやる一択だろ!」

 

 

仕事でそれが如実に出た。

常にイライラしていました。

 

 

周りのことがどんどん信じられなくなってきて、どんどんやさぐれてきて、私のことを誰も知らない人のところに行きたくなって、カウンセラー仲間や起業仲間の人とは心理的に距離を置いていた時期もありました。

 

 

ここに居たいはずなのに、自分から離れた。

 

 

そのままでいい、ここに居ていいって応援してくれるけど、それを言われると余計に頑張らないといけない気がして苦しくなったんです。

 

そうこうしていたら、自分が1番嫌っている、1番惨めさを感じている部分が問題になりました。

 

 

 

お金の問題だ。

 

 

 

自分がもっと働けばいい

バイトすればいい

もっと頑張ればいい

売ろうと思えば体も売れるやろ

 

 

素人がAVに出たら10万は稼げるかな…

 

 

もうどうしようもないくらいロクデモナイことを考えてしまっていました。

 

 

そして私は、あるカウンセラーから提案を受けるのでした。

 

 

 

 

 

つづく

 

***

 

 

世間体や役割にとらわれない女の生き方を全うしよう!

人生に遠慮はご無用♪

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