最近の日課〜甥っ子の存在が私の家庭環境で出来た傷の癒しを加速させた話〜

心理学

実は、昨年末に人生で初めて甥っ子が産まれました。

そのため私は、思わぬタイミングで叔母さんになりました(  ̄ー ̄ )オバサン

※いつかは来ると思っていた(笑)

最近は、アプリを使って写真や動画を家族間で共有できるため、甥っ子に会えない期間が長くても、子供の成長が楽しめる便利な時代になりました。

甥っ子が生まれてから毎日のように、妹が動画や写真をアップしてくれるので、家族みんなでニヤニヤしながら観て成長を楽しんでいます。

私の両親はざっくり言うと、父は男尊女卑、母は女尊男卑(造語です)という全く真逆の考え方を持った、罪悪感満載のこじらせ男女です。

両親は私が物心ついた時から不仲で、喧嘩が絶えず、気づけば冷戦期間に突入し、家の中では全くと言っていいほど、家族間の会話がありませんでした。

いつ戦いが起こってもおかしくない緊張感の中、私は両親のパイプ役として務めて育ってきました。

そんな家庭の長女として産まれたわけですが、いつしか私も両親の罪悪感を受け継ぎ、「私が産まれてこなかったら、両親は離婚して幸せになっていたかもしれない」「私が男の子だったら、父を喜ばせることができたかもしれない」「私が出来損ないだから、母を喜ばせてあげられないんだ」 etc

父を助けたい、母を楽にさせたい、そんな思いがねじ曲がって、いつしか自分の存在を自分で否定するようになっていました。

「私が産まれたせいで、両親は苦しんでいる。」

というのも、私は両親が結婚してから1年を迎える前にはこの世に生まれており、逆算すると純粋な新婚生活は2ヶ月くらい、尚且つ両親が結婚前にお付き合い?していた期間は半年(母曰く、父とは付き合ってる認識はなかったらしい。もしかして…お母さんロックウーマン?笑)だったそうで。

両親のパートナーシップが構築されていないうちに、トントンと結婚が決まり、すんなり私が生まれてしまったわけです。おぎゃー。

※デキ婚ではありません。

母がたまに言っていた「あんた達がおったけん離婚できんやったんよ!」という冗談が、子供だった私には冗談とは受け取れませんでした(そりゃそーだ笑)。

そんな罪悪感満載、自己否定満載の私ですが、あることがきっかけで、癒しが加速し始めます。

それは甥っ子の誕生です。

わたしには2つ下の妹がいます。妹は姉である私を差し置いて、先に結婚しました(笑)

※妹の結婚が決まった時の胸のざわざわの話もいつか書くね!笑

妹はコロナ禍での妊婦生活&出産だったので、旦那様であれ家族の出産の立ち合いは禁止、尚且つ院内にも入れない状況で、子供の父親なのに退院後しか我が子を抱けない、産声が聞けないという切なさ…

妹は心細い一人での出産。

特に妹は諸事情で帝王切開だったので、切腹なんて人生で初めて、入院も初めてな状況でした。

※帝王切開は一応手術扱いなので緊急時の立会人が必要ですが、コロナ禍なので旦那様は自宅待機。出産で何か緊急事態があったら、病院が旦那様に電話して、許可を促すという流れでした。

近くでは何もしてやれない。

となると、祈るしかありません。

私は妹の出産当日(帝王切開なので日にちは決まっていた)、出勤前に職場近くの神社へお参りに行きました。

どうか、どうか無事に甥っ子が産まれて来ますように。

そして妹が無事に出産を終えることができますように。

神様お力をお貸しください!!!!!

私は妹が少しでも安心するように、分娩室に入るギリギリまでLINEして(仕事中だったがそんなの知らん!笑)、ついに「行って来ます!」とLINEが。

それから約3時間後、妹の旦那様から電話が入り、無事に生まれて、母子共に健康であると報告を受けました。

母は泣いて喜び、父はいつも通りのなんかよく分からん反応。でもきっと喜んでいる。

妹や義理の弟の友人はもちろん、私の友人までもが甥っ子の誕生を祝福してくれました。

その日から妹はお母さんに、義理の弟はお父さんに、私の父はおじいちゃんに、母はおばあちゃんに、おばあちゃんは曾祖母に、そしてわたしは叔母さんに。

甥っ子姪っ子が生まれるという感覚は、いとこが生まれる、はとこの子供が生まれるとは全く違った感覚で、自分の子供ではないけれど”自分の血で近い存在が生まれる”という、なんとも言えないというか、

家族が増える、命がつながっていくってこいうことなんだな

と、ひしひしと感じた感動の体験でした。

そして甥っ子が生まれてきてくれたお陰で、両親を始め、妹を取り巻く周りのみんなが甥っ子の誕生を祝福したように、私が生まれた時もこうやってみんなに応援され、祝福されたんだなと体感することができました。

この体験は、今まで私が抱えていた罪悪感「私が生まれたせいで、両親は不幸になっている」という誤解を解く、浄化の第一歩となりました。

そしてある時、母が子育てについて衝撃的な発言をします。

妹と母と3人でグループLINEをしている時、母が妹に子育ては楽しいか?と質問をしました。

当時、妹は帝王切開の傷の痛み、出産で疲れているのにたらふく眠れないことへのストレス、慣れない子育てで「ぐぇぇぇえ(-_-)」となっていました。

すると母が、

「子育ては大変なことは忘れてしまうのよ、楽しいことばかりが記憶に残るもんだよ。」と一言。

この発言は、雷が自分に落ちたくらいの衝撃でした。(落ちたことないけど)

両親は不幸だったのではなく、私が生まれたことによって、幸せだった。

何もしてなくても、何も出来てなくても、私がこの世に生まれただけで、誰かを幸せにしていた、

ということに気づくことができました。

甥っ子の成長を見ていると、生きるエネルギーって凄いな!ということを毎回感じさせてくれます。

腹が減ったら「ミルクミルクミルクーーー!はよくれー!」とギャン泣く。

うんぴーしたら「おむつ変えやがれー!」とギャン泣く。

とにかく、泣くか寝るかミルク飲むかで1日を終えるわけですが、

自分の感情を必死に表現している。

自分を表現するって、生きるエネルギーだなと、、、

それは甥っ子だからではなく、みんなそうやって生まれて来たはずなんです。

たくさんの祝福を受けて、愛に囲まれて生まれてきたはずなんです。

けれど、生きていく過程でそれが見えなくなってしまった、忘れてしまった、感じなくなってしまった。

それはとても勿体ないこと。

みんな、祝福されて生まれてきた。

これだけは絶対真実だと、私は思います。

心理学はるかのこと

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